俳句結社の現状

●今日の朝日新聞に、俳句結社の現状について、宇佐美貴子氏の報告が掲載された。伝統的な和歌から現代短歌へ、芭蕉に代表される俳諧から現代俳句へ、と日本の短詩型の文芸は、脈々と続いている。短歌雑誌『あかね』は、若宮貞次先生が選者として、29年間継続されたが、自ら御他界を前に、見事な継承を果たされた。
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「 俳句の作り方はさまざまだ。独学で新聞投稿したり、仲間同士の同人誌に発表したり。そして、俳句結社の師弟関係の中で学ぶ人も多い。1990年代初めの俳句ブームは「結社の時代」と言われるほどだった。しかしいま、結社は岐路に立つ。会員の高齢化や指導者の継承のあり方など、課題を探った。
 俳句結社とは、主宰と呼ばれる指導者が掲げる理念を共通の目標とする会員の集まりのこと。定期刊行する俳句誌には、主宰が選んだ作品しか掲載されない。主宰の選を基準に、自らの作家性を培う場だ。会員の雑誌購読料と、基金と呼ばれる寄付が結社の収入源。別に主宰に添削料を払う場合もある。
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 昨年5月、広瀬直人(84)が脳梗塞(こうそく)で倒れ、山梨の「白露」が終刊した。飯田蛇笏・龍太親子の「雲母」の後継として92年に創刊、約2千人の会員をもつ全国有数の俳句誌だった。
 その「白露」の後継として今年1月、甲府市の井上康明(61)が「郭公」を創刊。終刊する主宰が後継者を指名し、後継者が新雑誌を作るという方法は「雲母」から「白露」への移行時を踏襲した。こういった方法は大結社では珍しい。
 「雲母」終刊の92年は俳句ブームの真っ最中。約4千人の会員がいた。龍太は「異常なまでの俳句結社誌の増加」と「終刊の辞」に述べ、結社主宰の安易な世襲を憂えた。「結社誌は一代限り」と考えながら、「雲母」を継承した自らの責任も感じていた。
 井上は「会員の願いに押された」という。「雲母」の先例に倣い会員が支払うのは雑誌購読代のみ。「年間1万2千円の雑誌代を払い、投句し、選者の選を待つ会員への責任がある」。広瀬は「白露」を蛇笏・龍太の詩精神を引き継ぐ場とし、「選はいのち」と言った。副主宰として傍らで見てきた井上は、「その苦労が選者になって初めて分かった」と述懐する。
 「郭公」の会員数は「白露」の8割ほどに。井上と同世代の新会員も増えている。「まずは続けることが目標」
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 結社の未来は、すなわち俳句の未来。結社がよりよい俳句を生み出す場であり続けるかどうか、これからが正念場だ。(宇佐美貴子)
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●途中をかなり省略したが、俳句結社の現状を知ることができる。私と同じ日本文学研究会で、芭蕉・其角・許六などを研究されていた、高橋弘道先生は、晩年、俳句に打ち込み、俳句結社を立ち上げて活躍された。また、上田秋成の研究者が俳句結社の指導者になられた例もある。人それぞれに、生涯の時間を過ごす。
朝日新聞 7月17日