神様のような 鹿島則幸氏

●今日、書斎を整理していたら、鹿島則幸氏の小文を見つけた。『ふるさと文庫月報 文庫の便り』第69号に発表されたものである。昭和63年3月10日発行、発行所は、おそらく水戸だろうと思う。「訪書百珍 『筑波根集』を読んで」という短い文章であるが、貴重な内容である。その末尾に、次の歌を詠じておられる。

  古文書の一字一字を若き等と
    読み解きてをり傘寿翁われは

桜山文庫の所蔵者・鹿島則幸氏が水戸の常磐神社の宮司をされていた関係で、私は、水戸には何回も何回もお伺いし、水戸は文化の香り高い所と感激していた。大学を出たばかりの頃、常磐神社にお伺いして、『可笑記』の調査をさせて頂いた。調査終了後、鹿島様は、その寛永19年版11行本を、私に下さると申された。全ては、ここから始まった。
●その後、常磐神社の宮司を辞められ、故郷鹿島の御自宅に帰られた。祖父・則文の蒐集された桜山文庫を整理して、一括譲渡したいと申され、譲渡先を私に一任された。評価は神田の一誠堂書店の社長酒井宇吉氏に依頼され、評価表をお届けしたのは、昭和61年のことである。御返事の中に「□□□は100とありました。」とあり、高いとも低いとも無かった。私は、驚いて、価格表を確認して、すぐお電話して「700です。」とお伝えした。鹿島様は誤読されたのである。一事が万事、鹿島様は神様のような方であった。
★詳細 → http://www.ksskbg.com/geibun/hiroba.html

■鹿島則幸氏、奥様と桜山文庫の書庫の前で 昭和59年9月