鹿島則泰のこと

●私は、大学を卒業して間もない頃から、鹿島神宮の鹿島則幸氏に大変な御指導と御配慮を賜った。そこから、則幸氏の祖父・鹿島則文桜山文庫に巡り会い、『桜山本春雨物語』『井関隆子日記』にも出会った。則幸氏の要請で「鹿島則文桜山文庫」もまとめ、「桜山文庫」を昭和女子大学図書館へ移管することも実現させた。しかし、則文の子息、則泰に関しては、全く調査することも無く、今日まで、過ぎてしまった。

●先日、菊池眞一先生からメールを頂き、川瀬一馬氏が『日本における書籍蒐蔵の歴史』という著書の中で、鹿島則文の子息の則泰について言及している旨、教えられた。早速、この本を古書店から取り寄せたところ、川瀬先生が、鹿島則泰のことに関して、貴重な思い出ばなしを書いておられた。いずれ、則泰についても調査したいと思う。川瀬先生は、こんな事を書いておられる。
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ここで、「浜行き」を私に聞かせて下さった鹿島則泰翁のことを言い添えます。則泰翁は鹿島神宮の神官の家の出で、父君則文は維新の際勤皇の士で、幕府のため八丈島へ流されました。流人の生活中、島人に産ませたのが則泰翁で、長子ですから島太郎と命名されたということです。宮司を継がれましたが、古い家柄の出で、父の血を引き一旦は政治家を志して選挙の地盤もあり、実績も持っておられたようで、そのため社会に対しても目が開け、物の考え方も幅があって酸いも甘いもかみ分けた、単なる学識者ではありませんでした。後には弟に宮司を譲って家を出られました。・・・
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●鹿島則泰は、東大で国文学を学んだ、古書籍に関しては、大変な知識の持ち主であったらしい。

詳細 → http://www.ksskbg.com/kashima/index.html

川瀬一馬著『日本における書籍蒐蔵の歴史』