「一一・一・一」の年賀状

●鹿島則幸様から頂いたお手紙は、それこそ膨大な量である。ある時、御自宅にお伺いした折、鹿島様は切手・葉書・書簡のコレクションを見せて下さった。大変高名な方々の書簡が、キチンとファイルに収められていた。私は、一瞬、不安が走った。思えば、私は、随分たくさんの手紙を鹿島様に送っている。もしや、この末尾に・・・。そんな不安であった。そういえば、江戸川乱歩の展覧会に、私が出した、閲覧願に添えた手紙が展示されていた、と知らせてくれた方があった。それも、これも、生きてきた足跡ゆえ、消すことは出来ない。
●鹿島様は、便箋も封筒も切手も、心をこめたものを下さった。「桜山文庫」の用箋も多かった。昭和62年12月30日のお手紙には、
「私 ご存知のとおり何でも蒐集で、切手等を集めておりますが、一一・一・一の年賀状は蒐集家の垂涎のまととなっております。幸いに何通か入手出来ましたので、年頭にふさわしいと考え お福分けいたします。」
とあって、「一一・一・一」の年賀状を2枚下さった。1枚は「聖護院」の消印、もう1枚は、何と「山形・大山」であった。如儡子の父、斎藤広盛の活躍したところである。「一一・一・一」の時、私は生後2ヶ月だった。
■「桜山文庫」の原稿用紙使用の手紙

■「一一・一・一」の年賀状