約束は雪の朝飯(あさめし) 

約束は雪の朝飯(あさめし)              


 石川丈山は、近世初期の儒者である。武士であったが、仕えを辞し、京都・賀茂山に隠棲して詩歌の道を楽しんでいた。
 ある時、この草庵を小栗某が訪れる。この小栗も、もとは武士の出であったが、へつらい事の多い俗世を捨てた身である。二人は生き方も共通していたので、親しい間柄であった。
 しばらく語り合った後、別れぎわに、小栗は、所用があって備前・岡山まで行くと言う。京へ帰るのはいつ頃か、と問うと霜月(十一月)の末と言う。その二十七日は法事なので、ぜひ食事を共にしよう、と約束して別れた。   
 月日は過ぎて、十一月二十六日の夜、京都は大雪が降った。丈山は、早朝から草庵の庭の雪かきをしていた。すると、そこへ、破紙子(やぶれかみこ)姿の小栗がひょっこり現れた。
 久し振りの二人は、互いの無事を語り合ったが、丈山が、この寒空に何の用事か、と尋ねると、霜月の二十七日に食事をしようと約束したのを、お前は忘れたのか、と言う。丈山も約束を思い出し、早速、飯を炊き、柚味噌を添えただけの膳を出すと、小栗はうまそうに食べ終え、その箸を下に置くか置かないうちに、また、備前へ旅立って行った。
これは、井原西鶴の『武家義理物語』の一篇であるが、この話に、作者は、

「さては、此人、日外(いつぞや)かりそめに申しかはせし、言葉をたがへず、今朝の一飯喰ふばかりに、はるばるの備前より、京までのぼられけるよ。むかしは武士の実(まこと)在る心底を感ぜられし。」

と批評している。     
丈山も小栗も、共に風雅を好む隠棲者、二人の一飯を共にするという約束の様を、西鶴は爽やかに、さらりと描いて見せている。短い一篇ではあるが、忘れられない話である。

 同じ約束を描いたものとして、上田秋成の『雨月物語』の中の「菊花の約(ちぎり)」が思い出される。
 播磨の国、加古の宿(兵庫県加古川市)に、丈部左門という学者が住んでいた。富や地位を求めず、学問一筋に打ち込む生活をしていたが、年老いた母は機織りをして、我が子の学問を助けていた。
 ある日、一人の武士が、旅の途中、この加古の宿で急性の伝染病にかかって倒れる。人々は病気のうつるのを恐れて、だれ一人近づこうとはしなかった。
 左門は、旅の空で一人苦しむ武士を憐れみ、枕元を離れず、親身になって看病する。その甲斐があって、病は徐々に回復してゆく。
 その武士は、赤穴宗右衛門といい、自国・出雲(島根県)へ帰る途中であるとのこと。心細い旅先で出会った、左門の親切に宗右衛門は心から感謝する。
 宗右衛門は左門より年長で、中国の孔子老子孟子荘子などの教えにも詳しく、左門は尊敬の気持ちが強くなり、やがて二人は義兄弟の約を結ぶ。
 宗右衛門は、義兄弟になった以上、君の母は、私にとっても母であるから是非お会いしたい、と言う。左門は感激して、早速家に案内すると、母も大変喜んで、未熟な弟と思って導いて欲しいと頼む。
 二人は人間の生き方などについて語り合い、楽しい日々を過ごすが、しばらくして、宗右衛門は、一度郷里へ帰ってきたいと思う、その後で、これまでの御恩返しをしたい、と言う。
 左門が、お帰りは何時ごろか、と問うと、菊の節句(九月九日)に帰って来ることにしよう、と言い残して旅立つ。
 季節は移り、いつしか約束の九月九日となる。左門は早朝から掃除を済ませ、菊の花を活け、宗右衛門を迎える準備をした。その子を見た母は、出雲は百里も離れているというのだから、約束通り来るとは限らない。姿を見てから準備してはどうか、と言う。しかし、左門は、相手は信義を守る武士だから、約束を違えるとは思えない、姿を見てから準備したのでは、相手を疑ったことになり、それは恥ずかしい、と答えて、良い酒を買い、鮮な魚を料理して宗右衛門の来るのを待った。
 その日は天気も良く、前の街道を、多くの旅人が通って行く。しかし、武士はいっこうに姿を見せない。日も暮れ、あたりは暗くなる。今日はこれまてとして、また明日待ってみてはどうか、と言う母の言葉に、さすがの左門もあきらめて、戸を閉め家に入ろうとした。
 その時である。何か人の気配を感じて、暗闇の方にハッと目をこらすと、それが赤穴宗右門であった。左門は、躍り上がって喜ぶ。
しかし、宗右衛門の素振りはどこか異常である。語るところによると、自分はもうこの世の者では無い。実は、出雲に帰ったところ、富田城主・尼子経久(あまこつねひさ)のたくらみによって、城中にと閉じ込められてしまった。そこで、

「人一日に千里(ちさと)をゆくことあはず。魂(たま)よく千里をゆく。」

という、ことわざを思い出し、自ら命を絶ち、霊魂となって、今宵の菊の節句の約束を果たすことができたのだ、と言って、涙をハラハラとこぼした。
 そして、これが永遠の別れだが、どうか母上を大事にして欲しい、と言い残して姿を消してしまう。
左門は、慌てて、止めようとしたが、再び宗右衛門に会うことは出来なかった。

 近世の代表的な二人の作者が約束をテーマに書き留めている。いくら約束したからとは言え、たった一度の食事を共にするために、わざわざ岡山から京都まで帰って来なくともよいかも知れない。      
 旅先で病に倒れ、助けてくれた左門は、宗右衛門にとっては神様とも思えたに違いない。また、気脈相通じた二人の間で交わした約束ではあるが、自らの命を断ってまで守らなくともよいかも知れない。
しかし、西鶴も秋成もこのように描いている。そして、今もこの両作品は私達を感動させるものを持っている。一度読んだ者は、忘れることはないだろうし、約束についての考えは変わるだろう。それが文学である。
        (平成9年5月1日)