花子とアン 好評

●NHKの朝のドラマ「花子とアン」は面白い。以前、「ゲゲゲの女房」も面白くて、時々みたが、今回の「花子とアン」も、かなり、時々見ている。主人公が『赤毛のアン』の最初の翻訳者ということ、彼女の実家が山梨の甲府であるということ、それに、初期の出版界・編集部のこと、印刷所のこと、こんな要素があって、面白い。今日の、朝日新聞、読書欄で、取り上げている。
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(ニュースの本棚)「花子とアン」の世界 文学好きの心をくすぐる 鴻巣友季子
2014年7月6日05時00分

毎週月〜土朝8時からNHK総合で放送中の連続テレビ小説花子とアン
 わたしの知るかぎり、翻訳家や作家には、村岡花子翻訳の『赤毛のアン』が外国文学への扉を開いた、読書体験の原点と言う人が多く、今、NHKの連続テレビ小説花子とアン」は周りで大変な話題だ。

 原案になった村岡の評伝『アンのゆりかご』(村岡恵理著・新潮文庫・810円)を読むに、想像力豊かだった花子はアンを自分の分身のように感じたのではないか。だからこそ戦火をものともせず、『アン』の翻訳をやり遂げたのだろう。それを表現するためだろうか、このドラマは花子(はな)の人生を『赤毛のアン』シリーズと重ね合わせて描いている。はながジュースと間違えてワインで泥酔したり、屋根から落ちたりする挿話も、『アン』から引いたものだし、さらに、菊池寛の「父帰る」やシェイクスピアの「ハムレット」などの引用や本歌取りが鏤(ちりば)められ、文学好きの心をくすぐることこの上ない。
・・・・中略・・・・
 ■型破りな翻訳家
 「花子とアン」は『赤毛のアン』シリーズの新解釈、少し大胆に言えば、「新訳」のような側面もあるだろう。たとえば、ドラマではなたちが通う東京の修和女学校で、「ロミオとジュリエット」の舞台公演をするくだり。翻訳と脚本を担当したはなが、「薔薇(ばら)は薔薇という名でなくても良い香がする」という有名な場面で、原作に文句をつけ、『赤毛のアン』に隠れているシェイクスピア批評を鮮やかに切りだしてみせたりする。ちなみに、修和女学校での「ロミオとジュリエット」公演は、坪内逍遥シェイクスピア劇を初演した頃におおよそ設定されており、こんなところにも時代考証の妙を感じさせる。

 吉高由里子が演じるはなは、翻訳家としてはかなり型破りな人物造形ではないだろうか。従来、作品に描かれた女性翻訳家というと、おおかた辛辣(しんらつ)な才女タイプか、激情的な芸術家タイプであり、わたしは「おんな訳者は性根が悪いか」というエッセイすら書いたことがあるのだ。ほら、名作ドラマ「岸辺のアルバム」では秀才の長女(中田喜子)が「翻訳研究会」に入っていたし、漫画『課長 島耕作』の離婚した妻も翻訳者だが、知的で冷たい感じ。そこへ行くと、はなはいささか天然のドジキャラで親しみやすい。

 ともあれ、優秀一辺倒ではなく、ちょっと不思議な感性の持ち主として描かれている村岡花子。劇中に出てくる村岡作の小説「みみずの女王」と「たんぽぽの目」なども、そうとうユニークだ(『村岡花子童話集』所収)。特に前者は一見愛らしい童話のようで、とんでもなくブラックなお話であり、優しい語り口がその凄(すご)みをいっそう引き立てている。後者も内容は無邪気ながら構造はポストモダン風。村岡花子の異才がうかがえる。
・・・・後略・・・・

 ◇こうのす・ゆきこ 翻訳家・文芸評論家。
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■「花子とアン」  朝日新聞 デジタル より

■『赤毛のアン

■『村岡花子童話集』