京都大学入試に『井関隆子日記』

●昨日、菊池先生からのメールで、平成23年度、京都大学入試の、文系の古典に『井関隆子日記』が出題された事を知った。先生は、本日、朝日新聞産経新聞毎日新聞・読売新聞、各紙の原物を送って下さった。有り難いことと、心から感謝申し上げる。平成11年度(1999)の大学入試センター試験の本試験に『井関隆子日記』が出題された時は、5人の方から電話も貰い、それから新聞を見た。このような御配慮は、本当に嬉しく、井関隆子も、きっと喜んでいるものと思う。

●出題されたのは、天保11年5月26日の条である。問題作成の担当者が、この文章を採り上げて下さったことに、敬意を表すると共に、私の校訂にミスの無かったことを確認して、ホッとしている。

「ふるさとの荒れたる様を見て、昔の人の嘆きつる歌共、いと多かる。そはいみじかりつる都の年経てあらずなりぬる様、はた己が住めりし里など、いつしか異やうに変はれるを見ては、おのづからあはれ催すべかめり。己が生まれつる所は、四つ屋といひて、公人などいふかひなきものの彼是住みわたりつれど、かやぶき板屋などむねむねしからず。大方田舎めきよろぼひたる家ども打ちまじれり。一とせ如月のつごもりばかり、此わたりを行きかひしけるついでに、入りて見けるに、昔すめりし家のあとは草むらとなりぬ。そこはかとなく分け入るに、しかすがに庭とおぼしきわたりは植木など枯れ残り敷石所々にあり。いたく苔むしたる井筒に立ちより見れば、水のみ昔にかはらず澄めり。かの「あるじ顔なる」と詠めりしもことわりにて、はやくのことさへ思ひ出でらる。古くおぼえし木どもみだりがはしう繁りあひ、はた垣のもとに並植ゑたる桜の木ども、かたへは枯れてむらむらに残れるが、折知り顔に色めきたれど、花もてはやす人もなかめるを、誰見よとてかと思ふに、おもほえずうち嘆かれぬ。此花の木どもはそのかみ母屋に向かひたれば、親はらから打ちつどひ春毎に、盃とりつつ打ち興じもてはやしつるを、今は其世の人独りだに残らず、ただ我のみたちおくれて、昔の春の夢語りを、さらに語らふ友もなし。
  こととはぬ花とはおもへどいにしへをとはまくほしき庭ざくら哉
 奥の方は少しくだりて、片山かけたる坂をゆくに、父君の愛でて植ゑつると聞きおきたる、梅の木どもの大きなる、かたへは朽ちなどしつれど、若葉の色いと清気にて、花の盛りには雪とのみ見渡されにしも、ただ今の心地してすずろに物がなし。」

●これが、本文である。注と問は省略する。

朝日新聞

産経新聞

毎日新聞

■読売新聞

■「三」の問題 朝日新聞

■『井関隆子日記』天保11年5月26日 の条