大奥の秘仏 公開

●今日の朝日新聞によると、江戸城大奥の秘仏が、奈良市元興寺で、10月27日から11月18日まで展示されるという。大奥の秘仏とは、第12代将軍、徳川家慶正室・浄観院が、念持仏として身近においていたもの。不動明王坐像と阿弥陀如来立像の2体。約28ミリ、と約33ミリで、木製で厨子に入れられているという。

●この仏像は、数年前に、寛永寺谷中徳川家近世墓所調査団が、東京の東叡山寛永寺徳川将軍家御裏方霊廟を3年3ヶ月をかけて発掘・調査した結果出土したものである。発掘された24人の墓所の中には、4代家綱正室高巌院、9代家重正室・證明院、10代家治正室・心観院、12代家慶正室・浄観院、13代家定正室・澄心院などの墓所が含まれている。

●徳川12代将軍家慶正室有栖川宮・喬子は、没して浄観院という。『徳川実紀』などでは、天保11年(1840)1月25日没、とされている。しかし、井関隆子は『井関隆子日記』の、同年1月15日の条に、次のように記している。

「この頃、密かに聞くに、いとゆゆしきことあり。上(家慶)の御台所と聞えさせ給へるは、有栖川の宮の姫御子におはします。それかくれさせ給へりといふ事、もれ聞ゆ。例ならずおはしますなど、ほの聞えしかど、いと篤しうおはしますなども、聞えざりしに、俄に失させ給へるよし、いはむ方なくまがまがしき御事也。」

●隆子は、家慶正妻は、病がちだとは聞いていたが、特別重病だとは聞いていなかったのに、俄にお亡くなりなった、と15日に記している。この記録から推測すると、有栖川宮・喬子は1月15日以前に他界したというのが実際のことのようである。

●2月6日、浄観院の葬儀が行われた。その様子を隆子は、克明に記している。

「六日の日、風なく日晴れたり。今日、御葬(みはぶり)なりとて、いみじき御ひびき聞き奉るだにゆゆしきに、近うなれ仕うまつれる女房たち、いかにくれ惑ひ給ふらむ。・・・今はと帰らせ給はぬ御出たちの、御柩引き給へらむ女房たち、はた、御見送りせさせ給へらむ、あまたの御方々などの御心地、むせかへらせ給へらむ御泪には、白妙の袖も紅に染めかへし給ふべく、御車の綱手に従ひ、遠く引きわかれさせ給ふらむ。・・・梅林とかいへる御内どほりより出させ給ひて、平川てふ御門にて御輿すゑ奉り、上野より御迎への僧たち、待ちうけ、御経読み奉りて、東叡山にわたらせ給ふ。・・・上野の谷中とか聞ゆるわたりにをさめさせ奉れりと聞こゆ。・・・」

●この浄観院は、家慶との間に、1男2女をもうけたが、いずれも1歳になる前に亡くしている。他界した幼子の菩提を弔い、将軍の正室として、天下の平穏を念じていたのかも知れない。2つの仏像は、バラバラの状態で出土したが、修復されて、今回、公開されるという。涙をもって葬儀の様を記し留めた井関隆子が見たら、ひれ伏して拝観するだろう。

朝日新聞 10月26日