三島由紀夫 自衛隊に乱入 割腹自殺

●今日の朝日新聞の夕刊「昭和史再訪」は、昭和45年11月25日に、作家の三島由紀夫が、市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部に乱入して、バルコニーで演説をして、その後で割腹自殺した現場を訪ねている。三島は自衛隊体験入隊していて、そのお礼を言いたいと、理由付けて総監室に入ったらしい。益田総監を縛り上げて、演説をして、腹切りを行った。集まった1000人ほどの自衛隊員は、冷静に演説を聞き、対応していた。

●私は、この日の午後、駿河台の坂を下りながら、このニュースを知った。お茶の水駅で夕刊の全紙を買ったが、総監室の床に、三島と楯の会の森田の首が並べられている写真が出ていたのは、朝日だけだった。朝日新聞のスクープであった。人間の、しかも三島由紀夫の生首が、コロリンと床に並べられていた。カメラマンは部屋へは入れなかったと思う。間仕切りを這い上がって撮ったのだろうか。

●今日の朝日には、当時の著名人のコメントも紹介されている。時の首相・佐藤栄作は「気が狂ったのか」と言ったという。佐藤首相は、何か重要な問題に出会った時、折々、山中湖の仲小路彰の所を訪れていたという。「昭和の天才 仲小路彰 ―終戦工作とグローバリズム思想の軌跡―」は、戦後のアメリカやイギリス・ドイツ・フランスに止まらず、ソ連の情報なども、国家機関を凌ぐものを得ていたと言われている。

仲小路彰は、友人の大久保力雄さんの恩師で、戦後、山中湖の研究所に籠もって、外部との接触を絶って、極、一部の人々としか会わなかったらしい。それで、旺盛な著作活動を続けていた。大久保さんの作成した、『仲小路彰著作目録』によって、最近は少しは知られるようになった。

■■ 朝日新聞・夕刊 2009年7月18日
昭和45年11月25日の朝日新聞夕刊の、バルコニーで演説する三島の下に出ている写真に、2人の生首が出ていた。それが、全家庭に配られたのだから、ショックを受けた人もいただろう。