人間のふるまい

●昨日、3月11日は、東日本大震災から4年を迎えた。今日の朝日新聞は、石巻市の菅原彩加さんの言葉を伝えている。
●菅原さんは、15歳の時、災害に遭遇した。がれきの下で、釘や木が刺さり、足は折れ、変わり果てた母の姿、助けたいけれど、一人の力ではどうにもならない。「行かないで」と言う母の声に「ありがとう、大好きだよ」と応えて、濁流から逃れて、近くの小学校に泳いで渡り、一夜を明かした、という。
●私は、昨日、笠谷和比古氏の『武士道』を、改めて読んで、日本人のふるまいについて、ある種の感動を覚えた。
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 日本の東北・関東地方を襲った今次の大震災は、その津波被害の想像を絶する恐ろしさと福島の原発事故の深刻さとをもって、長く記憶にとどめられることであろう。被災地の方々の痛惜の念を思うとき言葉を失うのみであるが、今は一日も早い復興を願うばかりである。
 そのような大震災の災厄にみまわれた被災地であったけれとも、現地の人々が示した節度ある行動に対しては諸外国からも感嘆の念をもって眺められていた。暴動・略奪もなく、救援物資も奪い合うことなく、むしろ手渡しで遠方の人々に届くように協力し合っている姿は、外国の人々の目には信じられない光景であったようである。 
 そのような行動に対する説明として、東北地方の人々に特有な忍耐強さやこの地に根ざした精神的風土といったものが取り上げられているのを、しばしば耳にする。それはたしかにそのような側面のあることは事実であろう。しかしながら注意されなければならないのは、このような人々の振る舞いは、今回の大震災被災地域に特有のことではないということだ。このような、大災害に際しても略奪や暴動が発生しないという特徴は今回だけのことではなく、例えば先の阪神・淡路大震災に際しても同様に指摘されていた現象であった。
 同震災では直下型地震によって百万都市神戸そのものが壊滅状態になってしまい、周辺の諸都市とも合わせて実に四十万近くの人々が住む場所を失った。都市インフラが機能麻痺に陥った厳寒の中、しかしここでも、人々は支援物資を奪い合うことなく、分かち合い、助け合いながら忍耐強く復興に取り組んでいたのである。
 つまりこのような光景は日本においては特殊なことではなくて、他の震災や自然災害のケースをもふくめて普遍的に見られる姿だということである。他の国ではこの種の大災害が発生すると略奪が横行するのが当たり前であるかのうである。あたかも、そのような災害による混乱を待っていたかの如くにして発生するという……。日本では到底考えられない状況である。
 もちろん日本だって飢餓・窮乏の状態が長く続くならば、その種の逸脱は避けられないであろう。しかし災害の混乱が発生するや、それに乗じて略奪に走るなどということは、やはり想像しにくいだろう。この違いを考えてみる必要がある。
 日本人の行動を律している観念は、「略奪や奪い合いのような、さもしい行動はとるべきではない」「そのような見苦しい振る舞いはなすべきではない」「人が困っているときに、それに乗じて奪うなどということは人間性にもとる」「困っている人があれば、これを助けるのは人間として当然のこと」等々といった感覚ではないだろうか。
これらの感覚は、たぶん多くの日本人にとってはごく普通に共有されており、ある意味では意識するまでもなく自然に働くような感覚と言ってさしつかえないと思う。それが、今次の大震災のような状態に置かれた中でも、変わりなく作動しているということなのだろう。誰から言われるまでもなく、である。……【以下略】
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笠谷和比古著『武士道』()2014年2月18日発行