武士道と仮名草子『可笑記』

笠谷和比古氏の『武士道 侍社会の文化と倫理』が刊行された(2014年2月18日、NTT出版発行)。一読、目からうろこという感じである。本書は、近世初期から末期までの全体の中で、武士道がどのように発生し、変質して展開してきたか、という事を明らかにしている。
●近世前期では、『甲陽軍鑑』・『諸家評定』・『可笑記』・『武士道用鑑抄』・『七種宝納紀』を取り上げている。中期では、『葉隠』・『武道初心集』などを詳細に分析しておられる。武士道とは何か、このような主題の時、仮名草子の『可笑記』が取り上げられる、ということは、薄々は感じていたものの、私の予想しないことであった。この点、著者に感謝申し上げたい。
●本書を読んで、歴史学の研究方法に関しても学ぶところが大きい。著者は、史学実証主義の方法を提唱しておられる。文学研究の私も大いに学ぶべき方法だと思う。今日は、素晴らしい著作に出会えて幸せだった。本書の「はじめに」の一部を紹介する。
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研究方法の基準
ただし武士道のような思想ないし規範的問題の概念分析を施すということは、それ自体、混乱も多く、思弁的な議論に流れていく弊を避けられないようにも思う。武士道研究の多くがそうであるように、研究者各自がそれぞれ典型的であると考える武士道像をあらかじめ設定していて、歴史の文献の中からそれに合致するようなものを取り出してきて、「武士道はこのように存在している」というような説明をするわけだから、議論がトートロジー(tautology=同義語反復)に陥っていくのも止]を得ないことであろう。
 この種の概念問題を、より客観的に行うにはどのようにすればよいであろうか。研究者が何をもって武士道と見なすかではなくて、武士が実際に世にあって活動していた時代に、武士自身が、あるいは周囲の人々が、何をもって武士道と呼んでいたか、武士道という表現とともにどのような行動をとっていたか、総じて武士の時代において武士道はとのような意味内容をもつものとして存在していたか、それを観察する態度に徹するということである。これは史学実証主義の研究手法の基本である。本書では、武士道という思想問題を、このような史学実証主義の方法を用いて究明することを課題とする。
 より具体的には、「武士道」という言葉の存在に基づいて分析を進めることとなる。武士が活動していた時代において、武士を中心とする社会の人々が「武士道」という言葉をどのように用いていたか、とのような意味をもって語り、またこの言葉によってとのような行為、行動を指すものであったか、それらを観察することになるであろう。
この方法に基づくならば、もはや研究者の価値観や先入観によって武士道論が千差万別に分散するということもなくなっていくであろう。例えば、「武士道」という表現は何時から使われていたか、その用語の文献上の初見はとれであるか。このような設問に対する回答が、研究者の価値観や世界観によって左右されるということはないだろう。左翼のマルクス主義者であろうと、右翼の天皇主義者であろうと、この設問に対する回答は一つの客観的な言明へと収斂していくことであろう。  【以下省略】
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★本書の詳細 → http://www.ksskbg.com/sonota/shin.htm
■『武士道 侍社会の文化と倫理』