2013年3月11日 ああ、あれから2年

●2013年3月11日 ああ、あの東日本大震災から2年が経過した。
亡くなられた方は、15881人、行方不明の方は、2668人、合わせて、18549人。改めて心から、お悔やみを申し上げる。

●2011年3月12日、私は次のように、このブログに書き込んだ。
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2011-03-12
東日本大震災 M8.8
10:58

●昨日は、『芸文稿』第4号の責了を印刷所へ送付して、ほっとして、少し遅い昼食をしようとテレビをつけた。NHKも民放も異常な雰囲気である。三陸沖を震源とする大地震が発生したという。食卓に座ったら、テレビの警報と同時に、揺れ出した。かなり大きな揺れである。2階の書斎よりも1階の方が安全だろうと、テレビの報道を見ながら、待機した。テレビの上の、佐渡の朱鷺の彫物と、かつての愛犬トラの写真が揺り落とされた。書斎の本は、20冊ほど落ちていた。
●妻より安否の電話があり、私は息子のケータイに電話してメッセージを残す。山形の斎藤金型に電話したが音信不通。教え子の5人からメールが入っていた。
★★斎藤金型のHPも当初は開けなかった。13日には開けたが、コメント無し。3月14日、ようやく会長さんの携帯につながりホッとする。15日HPの社長コメントで、会社施設も異常なく、社員も全員無事のコメントあり。★★
●テレビの報道を見ていて、津波の威力に慄然とした。大きな漁船が海方向から横向きで流され、コンクリートの防波堤に引っかかって横倒しになる。その先の砂浜には緑の並木があり、並木のもとに車が10数台停めてある。その外側には広い道路があり、トラックや乗用車が走っている。そこに津波は迫って、駐車中の車も広い道路も、その先の家々も、またたく間に飲み込んでいった。
●NHKのヘリからの映像である。津波は雑木や車やコンテナや、そして1軒の大きな家もそのまま流れに乗せて、内陸方向へ侵略してゆく。綺麗に耕作された田や畑を飲み込んで進む。その速度に驚愕した。自然の猛威である。
●私は、夜中まで、テレビに釘付けとなり、夜中・明け方まで経過を追った。終りの頃は、気象庁の警報も当らなくなった。埼玉に地震あり、と報じられても、所沢は少しも揺れない。各地の地震計が破壊されたらしい。息子は、東京から歩いて帰宅した。保谷あたりまで歩いた頃、西武線が動き始めた由。
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●この時から、2年が経過した。多くの方々の犠牲をいつも心にとどめ、その魂に思いを馳せてきた。様々な人々の生き方を知らされ、自然と人間の関係について考えて、人間存在の小ささを痛感している。教え子の一人からは、結婚式の案内を頂いたが、日立市水戸市のため、全てがストップしてしまった。
原子力発電のことも、21世紀の私達は、根本から考え直さないと、2代3代の子孫よりも、もっと先の千年万年の子孫のことまでも考えて、処置しなければならないことである。
●今日、ちょうど、『芸文稿』の第6号を責了にして、稲栄社印刷に送った。発行は4月の予定。思えば、この雑誌を創刊してから6年、3号雑誌に終らずに、ここまできたことに感謝する。

朝日新聞 2013年3月11日