ロダンのバルザック像

ロダンバルザック
 東明学林四日目はバス研修であった。宗我神社、小田原城址、伝肇寺、箱根旧街道、箱根の関所跡等を見学して、最後に彫刻の森美術館に着いた。
 ピカソ、ヘンリー・ムーア、エミリオ・グレコ、日本の代表的な作家の作品も多く、多感な学生たちは、様々な刺激を受けたことと思う。
 私は、何よりも、ロダンの バルザック像に出会えたことが、うれしい収穫であった。無知のゆえ、この名作には、パリのロダン美術館かモンパルナスの丘へ行かなければ、めぐり会えないと思っていたから、感動もひとしおであった。
 この、彫刻の森美術館のブロンズの像は、フランスのロダン美術館に保存されている、石膏の原型から、パリのジョルジョ・ルリエ鋳造所で十二体鋳造された内の十番目の作品である。ロダンの制作にまつわる苦心とこの作品が、モンパルナスに建てられるまでの運命を思うとジンとくるものがあった。
一八九一年、オーギュスト・ロダンは、フランス文芸家協会から、同協会の初代会長である、小説家、オノレ・ド・バルザックの記念像の制作を依頼された。七年後、ロダンは、ガウンをまとったバルザック像を完成させた。しかし、当時の文芸家協会は、「フランスが誇る偉大な作家を侮辱するもの」として、作品の引き取りを拒否した。
 ロダンは、その石膏像を自宅に秘蔵し、終生、外に出さなかった。この作品がブロンズ像として、モンパルナスの美術の丘に立ったのは、それから四十年も後のことであった。
 このバルザック像の制作過程を伝えるものに、リルケの『ロダン』がある。
 ライナー・マリア・リルケは、一九〇一年、単身パリに移住し、彫刻家・ロダンに傾倒し、親しくその教えを受けた。このリルケの記録によれば、ロダンは、バルザック像の制作において、機械的な模写を考えず、また、あらかじめ自分の意図した変容をバルザックの実像に加えることはしなかった。
ロダンは、バルザックを知るために、彼の故郷、トゥレーヌ地方を訪ね、彼の手紙を読み、彼を描いた絵を研究し、彼の文学作品を精読した。

「彼はバルザックの作品の中を何度も何度もとおった。」(高安国世訳・岩波文庫

 作品の中で、ロダンは、バルザックの創った人々と、いたる所で出会い、まるで自分自身がバルザックによって創られた人物であるかのような状態で数年間を過ごした。
 ロダンは、さらに、バルザックの金属板写真、画像、彫像、同時代の詩人・作家の手記などを研究し、全くバルザックの精神に充たされた中で、いよいよ、彫像の制作に取りかかった。 
ロダンは体かっこうが似た生きたモデルを使って、様々な姿勢の七つの原型を作った。しかし、それでも、究極のものが表現されていないことを感じた。そして、詩人・ラマルティーヌの次の言葉に出会う。

 「彼は元素(Element)の顔つきをそなえていた。」
「彼はその重いからだを無のようにかるがるとはこぶほど多くのたましいを 持っていた。」

 ロダンは、この言葉の中に自分の求めているバルザック像の大部分を発見し、イメージをふくらませていく。
 彼は、七つの裸体にバルザックが作品執筆の時によく着ていたような僧服を着せたり、僧侶の頭巾をかぶせてみたりして、様々な試みを重ねながら、次第に自分の目指すモノヘと近づいていった。
 このように、あらゆる手段を尽くして、バルザックの立像の完成に到達したのである。
リルケは、この像について、次のように記している。

「ついに彼はバルザックの姿を見た。堂々と、大股に闊歩する姿、ゆたかに垂れさがるマントのためにすべての重さを失った姿であった。頑丈なうなじに頭髪がしっかりと身をささえ、その髪の毛の中へもたれかかるようにして顔がある、観ている顔、観る酩酊陶酔の中にある顔、創造に泡立ちたぎっている顔。これこそ元素の持つ顔であった。これこそあふれるばかりの創造力の中のバルザックであった。世代の創造者、運命の浪費者バルザックであった。」

ロダンはこの像に、おそらくこの文学者の実際の姿をしのぐ偉大さを与えた。彼はバルザックをその本質の根本から捉えたのだ。」

 ロダンは、このような長い苦闘の末、その全体を象徴的に表現した、バルザック像を完成することができたのである。  
しかし、この苦心の末の成果も、それが、実際のバルザックの姿に似ていないという理由のもとに、この作品は、注文者から受け取りを拒否され、長い間陽の目をみることができなかった。彼の芸術は、当時のフランスのサロンに理解されなかったのである。

 ロダンが制作過程で示したこの態度は、文学研究を志す私達に、一つの貴重なヒントを与えてくれている。
 ロダンは、バルザックの本質を究めようとした時、彼の写真や、画像や、彫像や、同時代の詩人・作家等の手記など、あらゆるものを丹念に調査している。さらに驚くべきことは、彼の文学作品を何度も何度も読み、作品の中に自分を置き、作中人物と言葉を交わし、まるで、自分自身がバルザックによって創られた人間であるかのような状態で長時間を過ごしていることである。このような鑑賞を通して、作品の底に流れる作者の本質を発見しようと努力している。
 ロダンは、作者の真実の姿を究める第一の資料は作品であることを身をもって示している。しかも、彼の目的が、作品研究ではなく、彫刻家であることを思うとき、この真剣で異常とも言うべき打ち込み方に、私達は大きな感動を覚えずにいられない。文学研究の第一資料が作品それ自体にあることを改めて教えてくれているからである。

【注記 これは、平成11年1月発表の拙文です】