日記文学 とは

●「日記文学」の定義は、今、どのように理解されているのであろうか。第二次世界大戦後の、昭和26年1月に発行された、『日本文学大辞典』(新潮社)の「日記文学」の項を執筆した久松潜一氏は、次の如く記しておられる。

文学史上で日記文学と呼ぶのは、私的な日記の第二類(私的日記で仮名で書かれたもの……深沢注)に属するものを指し、時代的には平安時代から鎌倉時代までが中心となってゐる。……文学的な日記は平安中期の頃から現はれたが、それ等は多く女流によってなされた。この女流の日記は、鎌倉時代に於てもあらはされたが、その頃から次第に衰頽して、多く紀行文学にその地位をゆづるやうになった。室町期から近世にかけての主要な日記文学は、悉く紀行文学(別項)とよばるべきものである。」

●この久松氏の定義が、その後も影響をして、「日記文学」が理解されてきている。ところが、昭和女子大学の第2代学長をされた、玉井幸助氏は、昭和40年10月発行の『日記文学の研究』(塙書房)で、日記文学を次の如く定義しておられる。

「もと日記文学という言葉は、日本文学史の説明に当って便宜的に用いられた呼称で、土佐日記以後、平安・鎌倉両時代にわたり、何々日記または何々記という名で世に知られている仮名文の作品を総称したのであるから、これに厳密な定義を与えることは頗る困難であるが、本書においては、一おう次の如く定義して研究の範囲を限定しようと思う。

日記文学とは、自己の体験または見聞の事実を、文学的興奮を以って書き記した 仮名文の作品をいう。
この定義に従えば、室町時代以後、江戸時代・明治時代を経て現代に到るまで、多くの日記文学が著作せられているのであるが、それらはまだ研究の手が及んでいないので、ここで取り上げることができない。よって本書では、土佐日記から竹向か記に至るまで、即ち平安時代から吉野時代にわたる約四百年間の作品二十八種(作者二十三人)に止め、以下各説において、これを年代順に排列して一々の解説を試みようと思う。」

●玉井氏の定義は、おおざっぱのようではあるが、内容的には、ほぼ妥当な定義であると言えるだろう。私は、『井関隆子日記』の研究を通して、日本文学研究史における、日記文学の研究が極めて偏った定義のもとに行われていることに驚いた。
その中で、玉井幸助氏がこのような定義をされているのに出会い、とても感動した。

●学術用語の定義をする時、事実としての現象(作品)に基づいて行われるべき事は当然であるが、それと同時に、理論的根拠に関しても十分考慮しなければならない、という事である。昨日の朝日新聞の記事に触発されて、記してみた。詳細については、拙著『井関隆子の研究』(平成16年11月1日、和泉書院発行)を参照して頂きたい。

■玉井幸助先生