国立国会図書館の鹿島則泰

●西村正守氏の「研究ノート 鹿島則泰覚書」を読んだ。則泰の実態に少し迫る事が出来た。国会図書館の生き字引、と言われる理由も少しわかった。掲載されている写真も鹿島則文の長子にふさわしい気品のあるものである。私は、長い間、注意しなかった事を後悔している。
●これは、帝国国会図書館に就職する時に提出された、則泰の履歴書である。
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   履歴書

    原籍 茨城県鹿島郡鹿島町1番地
    現住 東京市牛込区矢来町1番地16号
          士族 鹿島則泰
             明治元年正月生
  明治21年7月 帝国大学文科古典国書科卒業
  同 21年9月 尋常中学科熊本済々校教員ニ任ズ
  同 22年8月 依願職務ヲ免ズ
  同 22年10月 秋田県尋常師範学校教諭心得ヲ命ズ
  同 23年9月 依願職務ヲ免ズ
  同 23年11月 補鹿島神宮宮司
  同 26年12月 叙従6位
  同 27年3月 茨城県皇典講究分所長ヲ委嘱ス
  同 27月10月 私立茨城県尋常中学科国学館長ヲ委嘱ス
  同 31年12月 依願免鹿島神宮宮司     
  同 36年12月 皇典講究分所長国学館長辞退
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●鹿島則泰は、国会図書館で、こんな仕事をしながら、貴重な資料を収集した。父、鹿島則文が、神宮文庫の充実に努め、自分も身銭を切って「桜山文庫」を集めたが、則泰もその父の姿を見て、晩年の仕事にしたのであろう。
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 大正3年職員分課に示された鹿島則泰の担当事務は,次のとおりであった。
  和漢古書購入及謄写調査并取扱
  購入和漢古書事務用カード調整
  貴重書取扱,乙部統計,細目編纂(謄写本和漢叢書類)和漢書書名著者名ノ調査
  乙部和漢書事務用カード調整同書整頓并其函目録調整 
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大正7年4月26日     
  ゆきたえてあめつよくふる夕ぐれの上野の森はさひしかりけり
 同    5月29日
  けふはむしあつくして夏のこゝちせり夜に入りてはのきばにそそぐ雨の音
  のやをら梅雨の節も近づきぬらんはじめて蚊帳をつりたるが去年よりをく
  れたり
 同   6月9日
  早朝より日食とて人々のあけやらぬ空を打ながめつつまつ甲斐もなうかき
  くもりたるはいとのこりをしまひるごろよりは南のかぜやゝ強きが雨雲さ
  へ立迷ふてむしあつき日なり

 これらは,鹿島則泰「宿直日誌」の中の抜書である。風流日記ともいうべきか。     
 大正10年図書館講習所ができ,やがて帝国図書館附設となるや,鹿島則泰は講師として「日本書誌学」を担当したが,その講義振りは当時の教習生の回想記に生き生きとえがかれている。
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●西村正守氏は、貴重な覚書を記して下さった。感謝する。
★詳細 → http://www.ksskbg.com/kashima/index.html

■鹿島則泰 帝国図書館時代