高原光啓氏 『皇典講究所入黌記』 発行

●高原光啓氏が、鹿島則孝編の『皇典講究所入黌記』を校訂・編集して発行された(平成25年9月1日発行)。底本は、鹿島神宮宮司・鹿島則良氏所蔵の桜山文庫蔵である。皇典講究所と、國學院大学とは深い関係がある。
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皇典考究所
明治元年(1867年)に大教宣布の詔[1]が発布され、明治9年(1876年)に神道事務局に生徒寮を設置して神職の養成に力を注いだ明治新政府であったが、政教分離・信教の自由論が世の中に広まり、教導職制が廃止された。それに伴い神道事務局の中では、旧典練習所をより発展させた機関を設置する必要があるとの考えが強くなっていた。この大教宣布の不振、それに続く祭神論争によりその教学の未成熟さを実感した神道はその教学の深化に迫られ、明治15年(1882年)8月23日に、有栖川宮幟仁親王の令旨を奉じた山田顕義内務省高官と、松野勇雄ら数名の国文学者が「専ら国典を講究するため」として研究機関を設立した。 また、内務省の委託を受けて神職の養成を行ったほか、各種の講演会、『古事類苑』・『延喜式』の編纂事業を行っていた。
第2次世界大戦敗戦後の昭和21年(1946年)1月25日にGHQ/SCAPによる圧迫を受けて解散、事業と資産は学校法人國學院大學神社本庁に継承され、学校法人國學院大學が『皇典講究所』の登録商標保有してる。       【ウィキペディア より】
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鹿島神宮、第67代宮司鹿島則文の長男・則泰は、明治16年に皇典講究所に入所した。その折の様子を、父・則文、祖父・則孝などに報告しているが、それをまとめたのが『皇典講究所入黌記』である。内容は、実に詳細で、皇典講究所での授業内容、成績などが収録されている。教員には、矢野玄道、井上頼国、小中村清矩などの名が見える。
●私は、平成5年(1993)に、鹿島則幸氏から、鹿島則孝・則文関係の資料を拝借した。全部で38冊だった。この中の『神宮々司拝命記』は、平成10年に校訂して発行した。その他の資料は貴重ではあるが、私の手には負えないので、鹿島則良氏に返却した。その中の『皇典講究所入黌記』を高原光啓氏が研究し、刊行されたのである。明治維新期の教育界の動向を考える上で貴重な資料として、今後活用されるものと思う。
★本書の詳細 → http://www.ksskbg.com/sonota/shin.htm
■高原光啓編『皇典講究所入黌記』