徳川将軍家と身延山久遠寺

●『週刊 江戸』の最新号・74号は天保の改革の特集である。50年間続いた、第11代将軍・家斉の政策の弊害は大きく、これを改めて何とか徳川幕府の勢力を回復させようと、首席老中、水野忠邦は改革を断行する。井関隆子は、この天保の改革に関しても、具体的に事細かに書き残しているが、この天保期の大奥での日蓮宗の流行についても、詳細に記録している。

●『週刊 江戸』74号によると、日蓮宗総本山・久遠寺と将軍家との関連は、徳川初代家康の側室・お万の方(養珠院)が深く関係してる。お万の方は、紀州徳川家の祖・頼宣、水戸徳川家の祖・頼房の母であり、日蓮宗を深く信仰していた。

●時代は下って、天保時代、江戸城本丸の大奥で、日蓮宗が大流行した。それは11代家斉の側室・お美代の方の影響が大きかったと思われる。お美代の方は、中野石翁・清茂の養女として家斉の側室になったが、実父は、日蓮宗の僧侶・日啓であった。家斉との間に、溶姫・仲姫・末姫の3人の子をもうけて寵愛された。しかし、天保の改革は大奥の粛清にも及んだ。

天保12年4月20日、井関隆子は、次のように記している。
「西の大殿なる女房、花園といへるは都より下られて、今、一弐の嫗の頭なり、はた中野石翁が娘なる、お美代の方と聞ゆる、この二人まづ押込められぬとか。・・・」

●この改革で、大繁栄した大奥と、これと関わった寺々の僧侶が大量に召し取られ、処分された。

■『週刊 江戸』第74号、6月28日発行

日蓮宗・総本山 久遠寺