2月3日 節分

●今日は、節分で、どこの家庭でも、神社でも豆まきが行われたようである。私の家では、もう子供はいないし、その雰囲気は無い。私の子供の頃は、鰯の頭を柊の枝に付けて軒に飾り、枡の大豆を「福はうち、鬼は外」と叫びながら、家の外と内に撒いて、後で枡の豆を自分の年齢の数だけ掴んで食べた。

●3日ほど前に、ふるさと便で身延山の節分の福豆を送ってくれた。三角の紙袋に入っている。身延山久遠寺で大勢の参詣者に投げるので、このように袋入りなのだろう。私は身延高校であるが、身延山の豆まきに行ったことがない。日蓮宗の総本山のお膝元なのに、不信心者であった。

●井関隆子の、天保11年(1840)の節分は、旧暦であるから、1月3日であった。彼女の日記によれば、この日は、若い人・子供たちは、風呂に入って、お化粧をして皆で祝っている。前の大通りには、獅子舞が笛を吹き鼓を鳴らして賑やかである。昔はナヨシ(ボラの幼魚)だったけれど、今は鰯の頭を柊に取り添えて、門々にさす。井関家は、当主の親経も孫の親賢もお城へ参上したり、外の付き合いが重なり、この日に、ようやく、家中がそろって新年の挨拶をして、節分も祝った。夜になると、男の子供が「福は内、鬼は外へ」と豆を打ちまき歩く。女子供は、自分の年の数だけ拾って、今年の災いを払い捨てる。また、外の通りでは、厄払いが「やくはらはん、やくはらはん、西の海ほはらひすてん」と言いながら通り過ぎる。江戸時代は、各家庭が皆で祝っていた。

■■身延山久遠寺の節分の福豆。

■■本日の 身延山久遠寺の節分会 身延町のブログ から
大関 魁皇

タレントの 高橋由美子さん

内野法主