森川 昭氏著 『下里知足の文事の研究 第一部 日記篇』 刊行

●森川 昭先生の『下里知足の文事の研究 第一部 日記篇』が発行された。A5判、上下2冊、1136ページの大冊である。

著者の 四十有四年及ぶ研究成果、ここに結実

近世初、中期を生きた地方知識人の、三十七年間〈従寛文8年 至元禄17年〉に亙る日記の全文を公開

●この度の、画期的な出版に接し、私は、まず、発行所の和泉書院に電話をして、廣橋社長さんに、祝福と感謝と感動の言葉を申し上げた。諸々の感激の気持ちを、伝えたかったのである。

●森川先生は、あとがき を「長い道程(みちのり)だった。」と書き始めておられる。先生が、尾州鳴海の俳人・知足の研究で、その御子孫の方々にお会いになったのは、昭和44年6月16日だったという。43年前のことである。そこで、俳諧資料と共に、下里家の膨大な日記に出会った。宇佐美魚目氏、長島弘明氏、塩村耕氏の協力によって、蔵から持ち出された日記は、年次順に配列され、初めて、その全貌を研究者の前に姿を見せたのである。森川先生は、この日記の判読・翻刻に着手され、「千代倉家日記抄」として、公開された。それは、42回という長い研究の継続であった。

●私は、朝倉治彦先生の出版記念会の折、森川先生と同席させて頂いたが、その頃は、大変、お元気だった。しかし、その後、先生は、奥様の御他界に加え、御自身も大変な御病気に見舞われ、思うように研究は進められない状況であると、拝察していた。そんな折、先生は、『下里知足の文事の研究』を加速するために、マイ雑誌『夷参(いさま)』を創刊された。この時の感激はとても忘れられない。

●『下里知足日記』は、寛文8年から元禄17年までの37年間の日記で、それは140万字になる。この膨大な日記を判読し翻刻するのは、並大抵なことではない。日記の原本の写真を拝見しても、難事業であると拝察される。あとがき によると、森川先生は、最初、膨大な日記の原本の山を見て、俳人・知足に関わる部分の抄出を考えられたという。俳諧研究者としては、妥当なお考えだと思う。しかし、塩村耕氏は、日記全体の翻刻を提案されたという。そして、森川先生を尊敬する方々が、礎稿作成に協力されたのである。このような経緯があって、この膨大な、そして貴重な日記が公開されたのである。

●今日は、感激と感動の思いで、この大冊を少しずつ、少しずつ、拝読させて頂いた。

★本書の詳細 → http://www.ksskbg.com/sonota/shin.htm

■『下里知足の文事の研究 第一部 日記篇』

■寂照(知足)画像・寂照筆和歌懐紙

■日記の原本など