若気の至り

●「近代批評の神様」小林秀雄に関して、1つの思い出がある。大学を卒業した年だと思うが、書評紙で文芸評論を募集していた。テーマは「文芸評論の功罪」であった。私は、早速、ペンを執った。何と、こともあろうに、小林秀雄批判を試みたのである。確か、小林の『徒然草』評論を槍玉に挙げた。雑記帳などを探せば、草稿は出てくると思うが、探し出す勇気はない。まさに、若気の至り(つい血気にはやって、じっくり考えてから行動するということが出来ない、若い人の気持。『新明解』7版)であった。

●私は、この頃、芥川賞直木賞などに関心をもっていて、受賞作や候補作の批評をノートに書き込んでいた。また、編集部に持ち込まれる、生原稿を読んで、出すか出さないか、判断する、そんな仕事もしていた。今、考えると、大先生の原稿をボツにしたこともあり、申し訳ないと思っている。古典文学でも、現代文学でも、作品の価値を定める批評眼を養いたかったのである。