森川 昭 先生の 『夷参』 第11号

俳諧研究者、森川昭先生のマイ雑誌『夷参(いさま)』第11号が発行された。この雑誌は、森川先生のライフ・ワーク、『下里知足の文事の研究』を加速するために創刊された。その大著、『下里知足の文事の研究』第1部・第2部・第3部、全3冊は、本年1月31日に完結した。先生は、なおしばらく、この雑誌の発行を継続されるという。頭の下がる思いである。
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『夷参(いさま)』 第11号
『夷參(いさま)』11号 A5判・62頁。非売品。
発行日  平成27年2月18日
編著者  森川 昭
発行者  森川 昭
発行所  252−0024 
     座間市入谷 4丁目 2741−3−116
     森川 昭

 目 次

○平安に異人有り―下郷学海と漢詩文 …………………… 杉下 元明  1

○『千代倉家日記抄』の地名 第十回 …………………… 榊原 邦彦  8 
   ―安永六年〜安永七年― 付・索引

芭蕉発句小考 ……………………………………………… 森川  昭 22

○千代倉家日記抄 四十七 ………………………………… 森川  昭 30
   ―文化十五年〜文政十年―
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●先生は、「芭蕉発句小考」の冒頭に、次の如く述べておられる。
「私は平成一五年心身ともにどん底にいた。勤務と併行して看病に明け暮れていた長病の妻を失い、それと入れ替わりに私自身の前立腺ガンが判明、一方原因不明突然の意識消失発作(失神)に襲われ転倒大怪我救急車入院をくりかえし、医師から介護付老人ホームへの入居を勧告(命令?)され、入居後は脳梗塞、六回目の意識消失発作で救急車入院し房室完全ブロック診断でペース・メーカーの装着に至る。
そういう、一連の経過の中で死を意識することもあり、身辺の整理を心がけ、一切の学会から退いた。結果学界の事情に昏く、芭蕉研究の動向にも全く不案内になった。そんな私にとって『新芭蕉俳句大成』はまさに暗夜の一灯ともいうべきありがたい一書となった。そこで驥尾に付して芭蕉発句の二三について愚考を書き記してみたい。」
●森川先生は俳諧、私は仮名草子、そんな関係もあって、先生との交流も密ではない。朝倉治彦先生の御著書の出版祝賀会の折は同席させて頂いたが、その頃のお元気な姿を思うにつけ、その後の先生の苦闘の連続は、予想も出来ないことである。
●森川先生の研究者としての生き方に対して、心から、敬意を捧げる。
■『夷参』 第11号

■『下里知足の文事の研究』