篆刻遊印

●〔ゆういん 遊印〕「自分の名や号を用いないで、筆者の好む詩句・成語などを彫った印。文人の落款などに用いる。」(日国2版)私は、生涯で素晴らしい篆刻家と出会うことが出来た。『省艸印譜』の作者・刻者、冨樫省艸氏である。
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1,蔵書印(WEB日記,2000年8月10日,より)
●私も少し蔵書が貯りだした頃,蔵書印のことが,チラチラと頭に浮かんだ。しかし,町のハンコ屋さんで彫ってもらう気はしなかった。まして,書店などで売っているゴムのものなど問題外であった。かといって,プロの篆刻家にお願いする身分でもなかった。
●大学卒業以来だから,35年間も続いている,池袋の土曜会なる,何の目的も無いグループがある。第3土曜日に,都合のよい者が集まる。メンバーに資格は要らない。学歴も年齢も職業もバラバラ。ただ,1人1人が何かに取り憑かれている,そんなグループであった。多分,中心は仲小路彰の教え子・大久保力雄氏だったと思う。何か,森銑三先生の三古会に似ていた。
●その中に,トガシという人がいた。塗料か何かの会社で頑張っているそうであった。趣味は詩吟で,これは定評があり,玄人の域に達していた。知り合って10年以上も経った頃,石をカジッている,と耳にした。私はオダヤカではいられなくなった。時間をかけて印影集を閲覧させてもらうところまで漕ぎ着けた。
●私も,集まりの度に,様々な印譜集や蔵書印集を持参して,機の熟するのを待った。兎に角,トガシさんの印影はミゴトであり,今,ハバを利かせている印譜協会の方々の作品に比して,決して見劣りはしない。聞くと,協会には意識して入らないとのこと。さもありなん,と納得。
●折をみて,恐る恐る,ヒトツ蔵書印を,と切り出してみた。案の定,余りヨイ顔色では無かったが,引き受けてくれた。こちらの希望は,20ミリの方形で「深沢蔵書」ということのみで,あとは,何も言えなかった。何時出来るかもわからなかった。3ケ月位経って,印影のみ見せてくれた。私は,即座に気に入り,頂くことにした。
●モンダイは謝礼である。金で彫るのではないから,石代だけでよい,と言われた。石の程度も分からない。私は,芸術家に対して失礼にならないような謝礼をした。こんなイキサツで私は,念願の蔵書印を持つことが出来た。小さいものであるが,気に入っていて,自分の蔵書として恥ずかしく無い本にのみ,この印を押している。

2,篆刻(WEB日記,2000年8月11日,より)
●トガシさんの篆刻家としての雅号は〔省艸(せいそう)〕という。冨樫さんは酒田の産で,漢籍の世界に通じていて,キビシイ処世観の持ち主であった。ちょっと近寄りがたいところはあるが,根は温かく,情に厚い方であった。蔵書印に味をシメテ,氏・名,と進み,やがて遊印の世界へ広がっていった。
●現在,私の手元には,冨樫省艸刻のものを主体とした篆刻遊印が,オヨソ400本はある。日本橋丸善に森林楽の仕様で特注したケースに入れてある。大小様々であるが,数はそれ位ある。しかも,冨樫氏のものは,殆ど袴(ハカマ)付きである。そして,石の磨きも印面のみでなく,全体が正確な立方体ではなく,丸みを帯び,少し変形し,温かく磨き上げられている。市販の石に生命が吹き込まれたように感じる。
●冨樫氏は,深沢は貧乏学者だから,金は要らない,気持ちだけでイイ,その分,金持ちからもらうヨ ,と言って,私の希望を叶えてくれた。私の研究する斎藤親盛(如儡子)が冨樫さんと同じ酒田の奉行の子であった,という点で好意を持っていてくれたのかナ,と今は思ったりしている。私は失礼のないように対応してきた。冨樫さんはお酒が大好きで,特に洋酒を好んだ。私は専ら三越オールドパーを活用していた。印文は私が古典の中で出会ったもので,しかも冨樫さんが納得したもののみ彫ってくれた。私は常に冨樫さんにテストされていた事になる。また,冨樫さんの印影を見せてもらい,気に入ったものをお願いしたりもした。私としては,身に余る道楽であったが,これらの印文から生き方を学んだ点も多い。感謝,感謝,感謝。
■印影・印文 の数々










篆刻印の保存ケース
 日本橋丸善・森林楽の特注品