正座する

●菊池先生のエッセイに、正座すべき人が正座出来ず、椅子に座っていた、と書かれている。
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本来正座するはずの芸人ができず、という例を見たことがある。
天満天神繁昌亭ができたての時だから、露の五郎兵衛になっていた。74歳。座布団に座れないのか、縁台のような大きな腰掛けに座ってしゃべった。木の香漂うような真新しい腰掛けで彼のために特注されたようだった。あれはどうなったのか。その後誰も使うことなく廃棄されたのではないか。大きすぎて置き場所にも困るだろう。
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●実は、私も、この頃、正座出来なくなった。毎朝、仏壇に向かって、線香を立てて、手を合わせて、妻の父母、御先祖、私の父母、兄弟、従兄弟、姪など、他界した親戚縁者にお祈りをする。当然、正座でなければならない。ところが、最近、足が痛くて正座できない。老化のせいだと思う。小型の椅子を購入しようかな、とも思い始めた。菊池先生の指摘される、正座するはずの芸人は、悩んだことだろうと思う。
●私は、学生時代から、西洋式の机と椅子で、その後も、この姿勢で過ごすのが生活の大部分である。正座は、苦手で、足の方もそのスタイルに慣れてしまったのであろう。老化とは、こんなものである。