仮名草子の範囲と分類

仮名草子の範囲と分類              深沢秋男

 水谷不倒氏が「仮名草子」と命名してから既に百年が経過しようとしている。研究の進展と共に作品の数も次第に増加して、現在では三百点に達する勢いであるが、これには、昭和四七年完結の『国書総目録』が大いに与って力があったものと思われる。
 この間、「仮名草子」という名称に対する検討や批判もあり、作品群の分類に関しても様々な意見が提出されて今日に及んでいる。
これは、現在、仮名草子として扱われる作品が、当時の書籍目録(寛文一〇年版)を見ると、「仮名仏書」「軍書」「仮名和書」「歌書 并 物語」「女書」「名所尽 道之記」「狂歌」「咄之本」「舞 并 草紙」等の各条に散在している事からも解るように、この名称が、いわゆる文学ジャンルとしての命名でなかった事と関連している。強いて言えば、複合ジャンルの如き性質をもっており、この事が、仮名草子の範囲や分類を複雑にしているように思う。

 仮名草子の範囲を考える場合、留意すべき事項について、今、思いつくままに、列挙してみると以下の如くである。
 ①御伽草子との関連。
 ②浮世草子との関連。
 ③評判記(遊女・役者)との関連。
 ④軍書、軍学書との関連。
 ⑤咄本との関連。
 ⑥随筆的著作との関連。
 ⑦名所記、地誌、紀行との関連。
 ⑧教訓書、女性教訓書との関連。
 ⑨仮名仏書、仮名儒書との関連。
 ⑩注釈書(……抄)との関連。
⑪翻訳物、翻案物との関連。

 これらの、各項を具体的に検討してゆく時、各項相互の間に、出入りがあったり、この他に加えるべき項目があるかも知れない。
 ①の御伽草子との関連は、いわゆる上限の問題であるが、時期は、徳川開幕以後とし、それに、中世との過渡期としての、安土・桃山時代を含めて、一応考えておきたい。この項で注意したいのは、寛文頃の刊と推測される、渋川版の御伽草子仮名草子に入れるという説のあることである。確かにこの一群の御伽草子は、近世初期に出版されることによって、より多くの読者に仮名草子と同時的に享受されたものであろう。また、写本→版本の過程で、異同も生じているであろう。しかし、文学作品の史的定着は、あくまで、その内容と成立時期によって評価し、位置づけるべきものと思う。これらの御伽草子は、中世的世界観の下で創られたものであり、これを近世の作品とするのは妥当と思われない。なお、写本を除外するが如き考えが一部にみられることであるが、これも、写本であると刊本であるとに関わりなく、この近世初期に創られた作品全てを対象とすべきものと思う。
 ②の浮世草子との関連は、下限の問題で、天和二年の西鶴の『一代男』の刊行を一つの目安にする事に異論はないようである。その場合も、仮名草子と一線を画する、浮世草子の新しい特色、傾向についても検討して、いずれに属するかを判断すべきものと思う。
 ③から⑪は、中世の御伽草子系統の、小説的な作品(草紙)とは、やや異なる、娯楽的、教訓的、実用的な作品群との関連である。これらの諸作品を仮名草子に入れるか否か判断する場合、まず、その文芸性が問われなければならないだろう。これについては、今後、一作一作、具体的に分析して、それぞれの作品の評価を判定する必要がある。
また、仮名草子は、小説的作品に限定すべきであるとしたり、さらに、小説に限定して、「近世初期小説」の用語を採用する、という意見も出されている。御伽草子仮名草子浮世草子と、これらを小説の系列として考える時、一応もっともな意見であると思う。しかし、そのように仮名草子を狭義に解し、他の作品を除くことは、研究史的観点から見て、時期尚早であると考える。現在、仮名草子とされている諸作品の具体的な調査、分析、評価等が十分になされているとは思えないからである。かつて、価値の低い作品は採り上げず、その事によって一つの評価を示す、という風潮があった。しかし、文学研究が科学である以上、そのような態度は、もはや、許されないであろう。一つ一つの作品の諸本調査と本文批評を行い、信頼すべき本文を確定し、それに基づいて、作品分析を行い、その属すべきジャンルを定め、文学的評価を出して、妥当な位置づけを行うべきである。

 「仮名草子」という名称も、いずれは、その内容を整理し、物語、説話、随筆、紀行、評論等々に分離して、後続作品への展開をも視野に入れながら、改められる事になるかも知れない。ただ、今は、まだその時機ではないと思う。
仮名草子の分類に関しても、すでに多くの説が出されている。
「いたずらに博捜を事として、書目の多きを誇り、分類・解説に憂き身をやつ」す、と厳しい批判もあったが、先学の諸説は、仮名草子の実態を知る上で、非常に有益であった。
 三種、三種一三類、三種一六類、五種九類、五種一六類、六種、七種一一類、八種、一〇種と、実に様々であるが、それだけ仮名草子の内容が種々雑多で複雑であることを示している。私には、先学の諸説に対して、別の分類を提出する準備も力量も、現在のところは無い。ただ、分類の第一の基準は、やはり、ジャンルによるべきものと考える。
 『分類の発想』の著者、中尾佐助氏は、分類の精神を示すキーワードは、枚挙・網羅・水平思考であると言っている。現時点での仮名草子の研究は、依然として、未だ研究されていない作品を俎上に載せることであり、より多くの作品を見渡して、これらに通用する基準で分類することにあると思う。
仮名草子」に該当する作品は、これをことごとく集成し、一作一作、研究を進めることが当面の目標であり、これらを分解、再編する作業は、次の世代の研究者に委ねることになるかも知れない。

(早稲田大学蔵資料影印叢書 国書篇 第三九巻『仮名草子集』同刊行委員会、平成六年九月一五日発行、月報四三)

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