草の司は尾花なりけり

●亀山のY先生に『近世初期文芸』を送ろうと出たら、ポストの前のススキが、1、2本、ささやかに穂を出していた。郵便局へ行く途中の広い庭の家のススキは見事な大株である。そんな寸景から、尾花大好きな井関隆子を思い出した。隆子のススキ好きは半端ではない。秋のみか、夏も冬も春も尾花尾花である。

 人皆は萩を秋と云ふよしわれは尾花が末を秋とは言はむ  (万葉集2110)

薄・尾花の趣きを詠じた歌は多いが、この歌ほど、秋の花は尾花だ、と明快に表現した歌は、おそらく少ないだろう。隆子の古典に対する知識が並々のものでなかったことが解る。

 郭公きなく五月の花すすきをりたがへりと人の見るらむ
 百草も千草もしたになぴけつつ草の司は尾花なりけり
 
天保12年8月9日、隆子は人々を自分の住まいに招いて、盃を傾けながら、庭の花を秋の野原に見立てて打ち興じる。孫の親賢が、したり顔に一首、

 春秋の花はおほけど花すすきあに此はなにます花あらめや

隆子も、あきれて、「いと追従めきたりや。されど己が愛でる心に打あひたればそしらず。」 
こんな調子で、隆子は薄を愛した。子の親経も、孫の親賢も、調子を合せて、母・祖母を大切にした。

■我が家の、ささやかな薄


■近所のKさんちの薄

■10年の余も、植えっぱなしのバラが1輪咲いた