斎藤豪盛氏と快談

●今日、昼休み、斎藤家第13代、豪盛氏から電話があった。豪盛氏は1936年生まれで、私より1歳年下。しかし、私が如儡子・斎藤親盛の伝記調査に着手してからの御付き合いであるから、お互いに、苦労話が多く、30分以上の長電話になってしまった。
●私が、斎藤氏と初めてお会いしたのは、昭和63年であるから、もう25年以上前のことである。二本松の斎藤家の菩提寺・松岡寺であった。初対面の名刺代りにと、二本松→米沢→長井→鶴岡→酒田、と回って下さった。愛車、白のセルシオ出羽三山を走破した。3日間かけて関係先を回ってくれたのである。あとは、自由に調査して下さい、とのこと。それから、何回お会いして、関係の場所をおたずねしたことか。2人の間で、話題の尽きることがあるはずは無い。
●一番、大きな感動は、松岡寺の斎藤家の墓所改葬のことである。斎藤家の墓所は間口4m55cm、奥行8m22cmと広い。このように広いのに、斎藤家は近世初期の如儡子・親盛の頃に、この墓を開いたので、先祖代々の墓石が40基以上と多くなった。そこで、第13代の豪盛氏は、昭和44年に改葬したのである。
●改葬後の墓所は綺麗になった。綺麗になったけれど、斎藤家の歴史は失われた。野間光辰先生も、田中伸先生も、三浦邦夫先生も、共に、この改葬後の綺麗なお墓を御覧になっておられる。私は、これでは、何も得られない、とコボシタ。墓域に埋めたという、墓石にお会いしたい、と愚痴った。
●平成4年、斎藤氏は、お墓を全面的に発掘して下さった。私の願いを聞き届けてくれたのである。研究者としては、無上の喜びであり、心からの感謝である。歴史上の人物の伝記研究は、かくあるべしと、私は考えている。
●そのような、関係の斎藤豪盛氏と私であるから、事が、斎藤家の歴史に及べば、電話は長くなるのである。これからも、何回も、何回も語り合うことになるだろう。

■斎藤家の墓所 最も古い状態 
中央の ○印の墓石が、親盛の母のもの。斎藤家では、「お姫様の墓」と言っていた由。その手前右の自然石のものが、親盛の墓石かと推測される。

■第1次改葬後の墓 
野間氏・田中氏・三浦氏はこの墓を見ている。もちろん私も見ている。

■第2次改葬の作業


■第2次改葬後の、現在の墓

■大きな墓誌には、斎藤家の歴史が刻されている。
■第3次 改葬 平成24年5月 
平成23年9月、二本松・妙林寺の無縁墓地から、「斎藤一葉墓」を発見、松岡寺の斎藤家墓地に合葬。おそらく、これが最終の斎藤家墓所となるだろう。左手前の自然石の墓石が斎藤一葉の墓。