勇ましい「はしがき」

●卒論の審査が終ったあと、学務課にお願いして、一旦借り出し、自分の卒論を書写した。コピー機の無い時代であった。

「は し が き

 日本文芸の歴史をながめるとき、我々はそこに二つの頂点を見出す。そして、
それが、古代後期に生まれた平安朝文学と、時代下って徳川治世下の元禄文芸
であることはいうまでもない。このように素晴らしい文化的遺産を残した先祖
をもつ我々は、それを一つの誇りとしてよかろう。
 平安朝散文文学の筆頭とされる源氏物語の、あの香り高い美しさと、鋭
い人間観照からくる偉大な芸術性は、後世に燦然とその光を放っている。そし
て、私は後世にこれを越えた作品を多く見出さない。しかし、それでいてなお、
そこに何かもの足りなさを感じるのである。そこで、女性として問題になるの
は、せいぜい受領階層までであり、宮廷生活の様子は、生き生きと写されてい
るにしても、庶民生活のそれは、須磨・明石にとどまるのである。このことは、
無数の農民たちの苦しみの上に繁栄していた、貴族社会、いわば限られた社会
の中にあって生まれたものだけに、致し方のないものであったのであろう。そ
して、文芸が庶民のものとなるまでには、あの戦乱と仏教的色彩の強い中世を
経なければならなかったのである。
 来世的・貴族的な伝統文芸に対して、現世的・庶民的な新しい文芸の発生、
それと共に近世は始まるともいうことができよう。芭蕉近松西鶴らによっ
て代表される元禄文芸が、庶民のためのものであった事はいうまでもなく、こ
の意味において、近代文芸の萌芽をここに求めることも、それほど唐突のこと
ではないと思われる。要するに、我が日本文芸史上において、庶民の声が初め
て下から突き上げるものとして、この領域に登場してきたこと、それこそ私が
近世文芸に目を向け始めた最初の契機であった。
 近世初頭にあって、従ってどの文学史にも、必ずその名を上げられていなが
ら、文学的には、あまり高く評価されていないジャンル、つまり仮名草子がま
ず目についたのは必然的であったと言える。どのようにして来世的・信仰的・
貴族的要素が、現世的・知識的・庶民的要素に移行し、近世的性格は形成され
たか、このテーマに対する第一歩が、『可笑記』の作品研究であった。従って
当初は、『徒然草』との対比によって『可笑記』の近世化を考察する予定であ
ったが、予想外に作品が大きく、本文分析の域に止まってしまった。
 第一章は、作者・作品の成立時期・諸本など、調査の段階のものをまとめた。
諸本調査は、時間的余裕を考えて、当初は省略する予定であったが、章段数に
ついて諸説があり、そこに大きな差異があったので、内容への影響を考え、こ
れを加えることにした。なお、歴史的時代背景についても述べる予定であった
が、紙数の関係で省略した。第二章は本文分析であり、ここに最も力点をおい
たつもりである。第三章に、他作品との関係を、狭い範囲内でまとめてみた。
第四章は未完成ながらではあるが、評価を出した。その後に参考文献と類型性
に関する具体的章段とその数などを掲げた。なお、文中、諸研究家の敬称はす
べて省略させて頂いた。」 

●何と勇ましいことか。横山重先生が、「深沢よ、美文は書くな」と戒めて下さったのも故あってのことである。