卒業論文口述試問 の思い出

●『可笑記』の卒論、120枚を脱稿し、昭和36年1月10日、学務部教務課へ提出した。提出期間は、10日〜16日である。大学生活の中で、こんなに楽しく打ち込んだ事は無かった。あとは、テニス部の合宿位かと思う。川崎木月のコートでの練習、先輩の優しいシゴキ、松本市営コートでの合宿、これは楽しかった。

●2月14日、卒業論文口述試問、日本文学科、49番。遅刻・変更は認められず、欠席すれば単位はもらえない。面接試問への準備は、日本文学史などの基礎知識、自分の卒論内容の確認、そのように注意された。当日、私は風邪をひいて高熱だったが、無理をして、大学院の重友先生の研究室での口述試問に臨んだ。

●部屋に入って一礼して座った。机の上には私の卒論が置かれていた。しばし、沈黙、また、静寂。1分か2分か、私には長い時間に思えた。こちらから、何かアクションを起こすべきか? それが礼儀か? 長い沈黙の後、重友先生は、おもむろに、口を開かれた。

■「私は、君の卒論を読んで、明るい感じがした。」これが、先生の第一声であった。もしかして、褒められているのか? 「私は、これを読んでいて、これをもう少し伸ばしてみたいな、と思った。」やはり認めてもらえたんだな、そう思った。「『源氏物語』は読んだのかネ?」卒論の「はしがき」での文章を指摘された。はい読みました、と堂々とお答えした。「卒業後はどうするのかネ?」北海道の函館ラサール高校へ行く予定です、と申し上げると、「教員もいいが学者という道もあるのではないかね」大学院への進学を勧められた。私としては、思いもしない事であった。

●この卒論面接で、私の進路はかなり変更された。私は、北大に野田寿雄先生がいらっしゃるので、まず、函館に行こうと思った。私には私の考えがあったが、ここで、人生の方向が変更されたことになる。これは、これで良かった、と今も感謝している。

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