諸本調査の思い出

●私は、卒論に仮名草子の『可笑記』を選んで、まず、2ヶ月間ほど作品鑑賞に使った。各条に感想を書き込んで、それから、過去に発表された論文のチェックをして、順次読み始めた。この作品は、中世の『徒然草』に倣って作られた作品であるから、章段数が問題になる。驚いたことに、従来の研究書・辞典類で諸説があった。275段、279段、280段、400段、こんな具合であった。上野図書館所蔵の寛永19版を見ても、万治2年の絵入本を見ても、280段+序・跋の282しかない。400と282では、100段の差がある。しかも400段が定説の様相を呈していた。これでは研究できない。どうして解決すべきか。400説を出している大家に直接問合せたが、ラチがあかなかった。

●私の見る『可笑記』の版本は、ことごとく282の長短の文章から成っていた。しかし、400段という説がある限り、「400段のテキストは存在しない」と断定することは、軽々にはできない。ここから、私の『可笑記』諸本調査が始まった。東京・大阪・京都・・・、全国の図書館所蔵本、個人所蔵本、海外の情報も収集した。400段説が誤りである、という自説を出すまでに、ほぼ5年間を費やした。先学もツミな事をしてくれたものである。しかし、私は、その御蔭で、「正しい本文以前に正しい研究なし」と言われた横山重先生にめぐりあえた。有難い誤説である、とも言える。

■『日本古典文学大辞典』(1983年、岩波書店発行)
  田中伸氏執筆、『可笑記』の項。これが正しい説である。