由比正雪 と 斎藤親盛

●『週刊 江戸』の16は「大名家と「御家」騒動」で、18が「幕府転覆計画」である。徳川幕府になって、大きな御家騒動は、出羽の国、山形藩の最上騒動である。元和3年(1617)3月、藩主・家親が山形城中で急死する。36歳であった。毒殺という噂が流れる。5月に嫡子・義俊が家督を相続するが、家中は家親の死をめぐって内紛が続く、5年後の元和8年8月、山形藩57万石は、近江の大森藩1万石に転封となって、最上家は、事実上、取り潰される。ここで、どっと浪人者が発生した。最上家の奉行だった、斎藤家2代・広盛も、その子の、3代・親盛も浪人となって酒田を離れる。

●『週刊 江戸』の18「幕府転覆計画」で、まず、取り上げられるのは、何と言っても、由比正雪だろう。寛永末年(1643)から寛文初年(1661)の約20年間は、日本の歴史の中でも、激動の時代と言っていいだろう。徳川政権を確立した、3代将軍・家光は慶安4年に没し、10歳の家綱が4代将軍になる。儒学界の重鎮・林羅山が明暦3年に75歳で没する。政界も思想界も不安定となる。それに加えて、江戸大火が続く。こんな時に、幕府転覆の計画が進められた。

●初代将軍・家康から、3代将軍・家光までの約50年間に230の藩が取り潰されたという。巷には浪人があふれた。こんな時、苦しむ浪人を救うために、幕府を倒す、という慶安の変由比正雪の乱が発生した。斎藤親盛・如儡子は、49歳であった。辛らつで激烈な批評精神に富む仮名草子可笑記』は、その9年前に出版されていた。

■■『週刊 江戸』18「幕府転覆計画」

■■ 由比正雪の乱