研究の場  首都圏と地方

板坂則子氏の大著を目の前にして、古典研究を続けてきた私には、研究の場所という事が、常に大きな問題であった事を思い出す。私は、近世文学の研究を志した時から、古典籍の調査に便利な首都圏にこだわった。東京都心から1時間半以内に住む事を基本にした。国会図書館・都立図書館・東大図書館・早大図書館、上野の美術館・博物館、これらの施設に気軽に行ける所でなければ、私の研究方法の実現は無理だと考えた。出版社の辞典部にいた頃、高知や徳島や福井や秋田などにある大学に行かないか、というお声をかけて頂いた。有り難い事ではあったが、私は家庭の事情などを理由にお断りした。後に、昭和女子大学に採用されて、私の希望は叶えられた。

●私の若い頃は、天理図書館も大坂府立図書館も東北大学図書館も九州大学も、大部分が夜行などの特急を利用した。全国の各県に飛行場も無かった。後に、朝、羽田を発って、島原市立図書館に午前中に入る事が出来るようになったが、こんなことは、夢のまた夢であった。航空運賃も高く、駆け出しの研究者には高根の花だった。もちろん、インターネットなど、未知の世界だった。

●私は、自分の家を購入する時、随分迷った。広尾の都立中央図書館の近くのマンションにするか、都心から離れた1戸建ての家にするか、という事である。妻とも相談の結果、所沢に決ったが、広尾ならば、都立中央図書館の160万冊の本を自分の蔵書のように利用できて、本の購入費がかからない。

●研究の場としては、そんな事も考えてきた。仮名草子の諸本調査などでは、交通機関の発達の恩恵を受け、それには感謝しながら、先人の苦労に思いをいたした。

■■都立日比谷図書館。ここに、朝早くから並んで利用した。

■■昭和48年(1973)日比谷図書館の多くの機能が、この広尾の有栖川公園内の建物に移った。

■■現在の都立中央図書館のHP