鈴木重嶺と勝海舟・天璋院

●『海舟日記』の明治17年3月16日の条に、

鈴木重嶺天璋院追懐の歌取り集め出来、持参。五円遣わす。」

とあり、海舟の『戊辰以来 会計荒増』の同日にも、

「同(三月)十六日 五円 鈴木重嶺天璋院様追懐歌取り集め候に付き遣わす」

とある。

天璋院は、明治16年(1883)11月20日、49歳で没した。勝海舟天璋院を追懐し追悼する歌集の編纂を鈴木重嶺に依頼したのであろう。その歌集が出来上がり、17年3月16日に海舟に届けたのであろう。

●さて、この『天璋院追懐歌集』は伝存するのであろうか。『海舟全集』に収録されているのであろうか。未調査である。この追悼歌集には、鈴木重嶺の歌も、たぶん収録されているものと思われる。重嶺を研究する私としては、詮索しなければならないだろう。