●『海舟日記』の明治17年3月16日の条に、「鈴木重嶺、天璋院追懐の歌取り集め出来、持参。五円遣わす。」とあり、海舟の『戊辰以来 会計荒増』の同日にも、「同(三月)十六日 五円 鈴木重嶺、天璋院様追懐歌取り集め候に付き遣わす」とある。●天璋院は…
●鈴木重嶺の漢詩の軸の落款に「緑堂」「雲烟過眼」とあった。「緑堂」は重嶺の号であるが、「雲烟過眼」は中国から伝えられた、成語で、雲や煙が眼の前をすーっと通り過ぎるように、楽しみにいつまでも執着しないという意味。出典は、中国の唐宋八大家1人・…
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