文学と歴史

●『信長公記を読む』(堀新編、2009年2月1日、吉川弘文館発行、2800円+税)を読んだ。実に有益な内容である。15名の執筆者によるものであるが、執筆者各氏の専攻が、歴史と文学である。この点が実に嬉しい。多くの場合、歴史は歴史、文学は文学と、別々に研究されているが、実体の解明には、隣接学との相互乗り入れが、時として必要であり、有効である。

●それが、本書では見事に実現しているように思われる。かつて、坂巻甲太氏と黒木喬氏が『『むさしあぶみ』校注と研究』(1988年4月30日、桜楓社刊)を出した。これも見事な実りを収めていた。

●近代的な国語辞典の嚆矢となった、大槻文彦の『大言海』は「文学」の語の意味の中に、詩歌・小説と共に歴史を入れている。これは、決して誤りではない。現在の我々の感覚ではおかしいが、その底部では文学と歴史は共通したところがあるのである。

●「歴史学とは、過ぎ去った時代の、我々の祖先が、それぞれの時代において、どんな事を行い、どんなモノを後世に伝えたか、そして、それは、人類の歴史において、どんな意味をもっているか、それを解明する学問であり、それは、あくまでも、残された事実に基づくもので無ければならない。その点で、フィクションが中心になる文学とは異なる。しかし、文学は時として、過去の出来事の背後にひそむ真実を伝えている事がある。」

●これは、2006年に、昭和女子大学の歴史文化学科の学生に「歴史における事実と虚構」と題して話した導入の部分である。私の専攻は近世文学であるが、学生時代から、文学研究に歴史上の研究成果を大いに取り入れて活用してきた。これは歴史社会学派の影響によるものであるが、現在も有効な方法だと考えている。

●『信長公記を読む』の詳細→http://www.ksskbg.com/kanabun/shin.htm

■■『信長公記を読む』