出合い の 不思議

●昭和40年(1965)、私は大学を出てすぐの頃であるが、鹿島神宮・大宮司家、第69代目の鹿島則幸氏に初めてお会いした。卒論で手がけた仮名草子の『可笑記』の原本を閲覧させてもらうためである。当時、鹿島氏は水戸の常磐神社の宮司であったので水戸へお伺いした。社務所で原本を閲覧させて頂き、調査が終ったので、調査結果を説明して、御返却申し上げた。

●ところが、その直後に大変な事が発生したのである。鹿島氏は、その原本を私に下さると申された。岩波の『国書総目録』に著録されいてる本である。現在ならば、古書店で100万円以上はする本である。そのような貴重な古典籍を、駆け出しの、海のものとも山のものとも知れない若者に、下さると言う。私は、世の中にはこんな現実がある、という事を知らされた。水戸からの帰途、電車の中で、顔を火照らせながら、大きな感動に包まれ、今後の生き方を模索した。今、振り返ると、その後の40年以上の研究生活は、この時に決められたようにも思う。

●『井関隆子日記』『桜山本春雨物語』『桜斎随筆』いずれも、鹿島則幸氏の御厚情によるものである。「桜山文庫」の処置を任されたのも大きな出来事であった。数億の仕事を一任され、検討の末に、昭和女子大学へ一括移管したのである。私は、鹿島氏から頂いた膨大な書簡の山と対面しながら、神様のような鹿島氏の人柄を偲んでいる。

●鹿島則幸氏は、平成5年(1993)12月30日、他界された。享年86歳であった。

●人間の一生で、人と人との出合いは、誠に貴重なものであり、不思議なものである。だから、1回の出合いを大切にすべきだと思う。