●昭和40年(1965)、私は大学を出てすぐの頃であるが、鹿島神宮・大宮司家、第69代目の鹿島則幸氏に初めてお会いした。卒論で手がけた仮名草子の『可笑記』の原本を閲覧させてもらうためである。当時、鹿島氏は水戸の常磐神社の宮司であったので水戸…
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