死去ネット

●私は、毎朝、仏壇に向かって、蝋燭をともし、線香を立て、家内の祖父母、父母、私の祖父母、父母、他界した兄姉、姪など、沢村家、吉田家、深沢家、渡辺家、佐野家、など、自分の係累の他界された方々にたいして、お祈りをする。次に、珈琲を飲んで、パソコンに向かって、「死去ネット」を開き、斎藤親盛、井関隆子、鈴木重嶺の霊に対して、香を手向け、花を上げる。それから、メールを確認して、研究の机に向かう。程なく眠くなり、一眠り、頭が冴えたら、また原稿を書く。

●私が、死去ネットに登録したのは、次の3名である。

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1 斎藤親盛(如儡子) さいとう ちかもり

1603 - 1674
仮名草子作者
亡くなってから341年150日過ぎました。
71歳で亡くなりました。
1603年に誕生、1674年03月08日に亡くなりました。
生誕412年が経過しました。没後341年が経過しました。
暮らした時代は、慶長 から 延宝 です。

斎藤親盛(如儡子)さんについて

近世初期、出羽の酒田に生まれた。庄内、川北奉行、斎藤筑後守広盛の長男。最上家親に仕える。最上家57万石が1万石に改易された時、浪人となる。苦しい浪人生活の中で、仮名草子可笑記』や、『砕玉抄』『堪忍記』『百八町記』などを著作した。

齋藤家 墓所 参詣

2015年6月23日、二本松、松岡寺の齋藤家のお墓にお参りしました。
齋藤家第13代豪盛氏御夫妻と、私たち夫婦の4人です。齋藤氏ご夫妻が招待して下さいました。
第二墓誌の裏面に、その後の状況を新たに追加しました。
これで、豪盛氏と私の研究は一段落しました。
以上、御報告申し上げます。

2015.01.01 ID:137550
akiofukasawa
昨日、第13代・齋藤豪盛氏から電話があり、齋藤家御先祖の代々の上に話題が及びました。御報告致します。

2014.09.23 ID:134816
akiofukasawa
父、斎藤筑後守広盛の伝記、『世臣伝』に基づいての検証、最上家改易までまとめました。171枚、昨日、印刷所へ入稿しました。これで、父上の伝記はほぼ、終りました。御報告申し上げます。

2014.08.30 ID:134146
akiofukasawa
父・斎藤筑後守広盛の長谷堂合戦の頃の活躍の様子が、検証できました。『世臣伝』の拠り所となった、斎藤家の記録は、貴殿が書いたのではありませんか。私は、そのように考えるようになりました。

2014.05.24 ID:131154
akiofukasawa
笠谷和比古氏が『武士道 侍社会の文化と倫理』の中で、『可笑記』の意見を取り上げています。御報告いたします。

2014.04.03 ID:93018
akiofukasawa
武州川越の豪商、榎本弥左衛門の記録『榎本弥左衛門覚書』の、正保2年の条に「心のうちに詮議仕り候らえども、合点参らず候につき、落ち着き申さざる所に、『可笑記』を読み候らいて、心落ち着き申し候也。」と書かれています。御報告いたします。

2014.03.22 ID:92738
akiofukasawa
●東京都中央区立泰明小学校の『泰明だより』平成26年3月号に、校長・和田利次先生の生徒に贈ることばで「礼儀と云うは、むかいの人によっておこない、時にしたがっておこなう、万事一ぺんに心得べからず」(如儡子可笑記』)と書いています。これは『可笑記』巻2の48段にあるものです。貴殿の書いた言葉が現在も活用されていることを報告します。


2014.02.14 ID:92136
akiofukasawa
現在、私は、ライフワークとしての『如儡子・斎藤親盛の研究』を執筆中です。貴殿は、『徒然草』と共に『甲陽軍鑑』をよく読んで利用しましたね。尊敬します。

2013.12.20 ID:91279
akiofukasawa
近世初期文芸』第30号に、斎藤広盛と藤島城のことを掲載しました。貴殿の伝記資料も少しずつ充実しています。

2013.11.05 ID:90466
akiofukasawa
可笑記』が、平成22年度香川県公立高校入試、平成23年度京都府公立高校入試に出題されました。

2013.11.02 ID:90402
深沢秋男
近世初期の激動の社会を生き抜いた人生に敬意を捧げます。大学3年の時、仮名草子可笑記』に出会えたことを幸せだと思っています。

斎藤親盛(如儡子)さんのお墓について

松岡寺
二本松市松岡77

山形県酒田市、上日枝神社境内に「齋藤筑後守記念碑」が建立されている。



2 井関隆子 いせき たかこ


2013.11.02 ID:90401
お悔やみ申し上げます
1785 - 1844

幕末 歌人
亡くなってから170年279日過ぎました。

59歳で亡くなりました。
1785年06月21日に誕生、1844年11月01日に亡くなりました。
生誕230年が経過しました。没後170年が経過しました。
暮らした時代は、天明 から 弘化 です。一覧
次の法要は28年92日後、2043年11月01日の二百回忌です 一覧

井関隆子さんについて

井関隆子は、庄田家に生まれ、幼名をキチという。松波家に嫁いだが離縁。後、井関家に嫁ぐ。晩年の5年間に日記を付けた。『井関隆子日記』という。その他、『さくら雄が物かたり』『神代のいましめ』『いなみ野』などの創作がある。
法名は「知清院殿悟菴貞心大姉」である。

akio fukasawa
鈴木よね子氏は、『井関隆子日記』について、「変化しつつある社会を政治も含めて見聞し、また多くの書物を読み、それらについて思索しながら膨大な日記を書き続けた。その文体は町子や麗女と相違して、和文である必要性はなかった。平易でありながら行き届いたものであり、近世における女性の随想文の一つの到達点としても良いだろう。思索の内容は、政治社会論や女性論に注目すべきものがある。」と述べています。
『井関隆子日記』の文章は、決して、当時の国学者の多用した擬古文ではありません。言ってみれば、古代語ではなく、近代語の文章なのだと思います。これが、文学史的には価値のあることである、そのように、私は考えて、この日記を評価したのです。

2014.12.27 ID:137406
akiofukasawa
歴史学研究会編、高埜利彦責任編集、2006年12月8日、岩波書店発行の『日本史史料 3 近世』の中の、第4章、第3節天保改革の条に、貴女の日記の記録が参考文献として、採録されました。貴女の意図は有効でした。御報告します。


2014.02.19 ID:92202
akiofukasawa
40年前は、無名の存在だった、あなたですが、今は、かなり知れ渡りました。おそらく、幕末の文人の一人として、永遠に伝わるでしょう。

2013.12.20 ID:91274
akiofukasawa
『井関隆子日記』も諸方面で活用されています。昨日は、「仁杉五郎左衛門研究」というサイトで、8箇所も引用されていました。御報告します。
2013.11.04 ID:90443
akiofukasawa
『井関隆子日記』(3巻、1978〜1981、勉誠社)、『井関隆子の研究』(2004、和泉書院)、『旗本夫人が見た江戸のたそがれ――井関隆子のエスプリ日記』(2007、文芸春秋)が刊行され、一般に認知されるようになりました。

2013.11.03 ID:90428
akiofukasawa
『井関隆子日記』は、大学センター試験明治大学京都大学入試、に出題されました。

2013.11.01 ID:90385
深沢秋男
生誕228年、没後169年が経ちました。私は『井関隆子日記』に出会えて、幸せな研究生活が出来ました。こころから感謝申し上げます。

2013.10.29 ID:90334
深沢秋男
素晴らしい文学を有り難うございました。
2013.07.01 ID:25551
お悔やみ申し上げます

井関隆子さんのお墓について

喜運寺
東京都文京区白山2−10−3



3 鈴木重嶺(翠園) すずき しげね(すいえん)


1814 - 1898
佐渡奉行歌人
亡くなってから116年254日過ぎました。
84歳で亡くなりました。
1814年06月24日に誕生、1898年11月26日に亡くなりました。
生誕201年が経過しました。没後116年が経過しました。
暮らした時代は、文化 から 明治 です。一覧
次の法要は32年118日後、2047年11月26日の百五十回忌です

鈴木重嶺(翠園)さんについて

鈴木重嶺、翠園に関しては、深沢秋男「鈴木重嶺(翠園)伝記研究序説」(『文学研究』第92号、平成16年4月)がある。
また、鈴木重嶺関係資料は、昭和女子大学図書館所蔵の「翠園文庫」がある。2015.07.14 ID:143931

先日、教え子の乃村さんが、お墓にお参りして下さいました。奇麗な花をお供えし、顕彰会が建てた案内標識もきれいにして下さいました。
2014.09.06 ID:134338
本日、教え子のNさんとSさんが、全龍寺のお墓にお参りしてくれました。御住職様もお元気だったそうです。
2013.11.04 ID:90442
新大久保の菩提寺・全龍寺の墓所には、「鈴木重嶺顕彰会」によって、翠園の顕彰案内標識が建てられました。佐渡市教育委員会・法政大学名誉教授・村上直、昭和女子大学名誉教授深沢秋男、によるものです。
2013.11.03 ID:90429
鈴木重嶺関係資料は「翠園文庫」として昭和女子大学図書館に所蔵され、永久保存されます。旧派歌人として伝えられるでしょう。2013.11.02 ID:90407
御子孫の松本誠先生との関係で、最後の佐渡奉行鈴木重嶺に巡り会いました。優れた幕臣としての働きと、歌人としての活躍に敬意を捧げます。

鈴木重嶺の墓

東京都新宿区大久保 1−16−15  全龍寺

墓所には、鈴木重嶺・翠園 の説明版がある。