誤解の縁談

永井義男氏の「大江戸八百八町の性生活」で、『井関隆子日記』の記録が紹介されている。
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第147回 誤解の縁談
天保元年(1830)ころに起きた若い男女の悲劇が『井関隆子日記』に記されている。

旗本春日家の半五郎・左門兄弟はともに独り身だった。
 同じく旗本の赤井家の庭で、半五郎と左門兄弟をはじめ若い旗本の子弟が集まり、弓で遊んだ。
 その様子を、赤井家の十六歳になる娘が物陰からそっと見ていて、快活で色白な左門を見初めた。もちろん言葉を交わしたわけでもなかったが、娘はひそかに左門に思いを寄せた。
 しばらくして、仲人を立てて春日家から赤井家に縁談が持ち込まれた。
 親が意向を尋ねると、娘はてっきり左門だと思い、真っ赤になって、
「はい」
 と承諾した。
 あとはとんとん拍子に進む。
 祝言を終えて、女がそっと夫の顔を見ると左門ではなく、半五郎だった。事態が理解できず動転しているところへ、左門が挨拶に現われた。
「弟の半五郎でございます」
 ここにいたり、娘は自分の勘違いに気づいたが、もうどうしようもなかった。
 こうして不本意な結婚生活が始まったが、左門が別居していればそれなりにあきらめもついたろう。
 しかし、左門は同じ屋敷に同居しているため、毎日、義理の姉と弟として接していかねばならない。
 それでも、女がすべてを運命と受け止め、胸の内に秘めていたら、悲劇は避けられたであろうが、妻とは言ってもまだ十六歳だった。
 ふたりだけになったとき、女は左門に誤解の顚末を打ち明け、さめざめと泣いた。
 左門も動揺する。
 ついにふたりは一線を越えた。
 その後、ふたりは家人の目を盗んで情事を続けたが、同じ屋敷内である。いつまでも気づかれないはずはない。
夫も姑もふたりに疑惑の目を向けるようになった。
ついに、ふたりは心中を決意した。
夫が江戸城で泊まり番の日の深夜、女は死に装束の白衣を着て、左門を迎えた。
寝室でうめき声がするので家人が駆けつけると、女は白装束を真っ赤に染めてすでに息絶えていた。左門は首を刀で突いたものの死にきれず、苦悶のうめき声を発してのたうちまわっていた。
心中未遂となれば厳罰をうけるため、春日家では表沙汰にせず、ひそかに女の遺骸を実家の赤井家に送り届けた。赤井家では病死として葬った。
 左門は手当てを受け、一命は取り留めた。
 傷が快癒したあと、左門は兄の半五郎とともに職務に励んでいるという。
 後味のよい結末とは言えない。なんとなく釈然としないと言おうか。
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●これは、『井関隆子日記』の天保11年11月17日の条に記録されている。10年ほど前の心中事件を隆子は、まるで、目の前で展開されている物語のように描いている。

「・・・この娘のいたづら心こそ、にくきやうなれど、はじめ己が男と頼みつる人の違ひけむほどの心地、いかに口惜しかりけん。さてつひに、あたら盛りをいたづらになしけること、かかる筋はいとわりなき物になむ。かくして男女失るを、世に相対死とかいひて、むかしより、いやしき物には、いと多かり。・・・」

●井関隆子の物語作者としての力量は大したものだと、私は評価している。これは、単なる事件簿ではない。二人の男女が不倫を犯し、自らの生命をかけて、罪を償い、愛を貫こうとしている、その様を描いているのである。
永井義男氏の「大江戸八百八町の性生活」

■『井関隆子日記』天保11年11月17日の条