私のつくった新米

●小学校の同級生の長田君から、今年も新米のプレゼントが届いた。早速、電話して、お礼を申し上げた。小学校、中学校、身延高校と、ともに学んだ友。全てを知った間柄、この年までほぼ元気に生きてこられたことに感謝して、ひと時が過ぎた。いつまでも、忘れずに思い出してくれる友の思いやりが、心にしみる。
●長田君の田んぼは、富士川と早川の合流する所にある。早川の水は、急峻な山から流れてくるので、とても冷たい。雑草取りなどは大変であるが、その分、美味しい米になるのだ、と言う。有り難いことである。
●『原小学校百周年記念誌』を開く。懐かしい写真がある。私の父は、明治33年(1900)の卒業である。当時の教科書が出ている。
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第十四課 年ノハジメ
ケフ ハ、 年ノハジメ デ、 イヘイヘ ニ、 カドマツ ガ タチ、 日ノ丸 ノ ハタ ガ、 デマシタ。
今 コノ 子ドモ ハ、チチ ハハ ニ、 ゴシウギ ヲ マウシマス。
 ととさま おめでたう。
 ははさま おめでたう。
チチ モ ハハ モ、 キゲン ヨク
 これ は、 たいそう、 おとなしく なりました。
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●父は、こんな国語の本で勉強したのである。 
富士川と早川の合流する所

■長田君のたんぼのある所

■長田君が手塩にかけた新米

■私の父の使った教科書

■父のクラスの人々 赤丸が父

■現在の富士川 
 飯富橋付近で釣りをする人々
 橋の向こうに、私の実家が見える
 後ろの白い建物は、原小学校