富士川舟運の歴史をたどる

●郷里、富士川の舟下りが復活して、とても嬉しく、時々、そのサイトを開いて、その後の進展を見守っている。久し振りに、ネットで「富士川舟下り」を検索したら、乗船してくれるお客さんも、県内外から多く来てくれるようになったと、感謝の言葉が見られた。郷土の活性化を目標に立ち上がった、高校同期の7人衆の思いが通じたようである。
国土交通省甲府河川国道事務所の「富士川舟運の歴史をたどる」は、見事な内容である。郷土史研究家の上野晴朗氏の監修で充実している。

◎先人は血と汗と涙で不可能を可能にした
日本三大急流! 富士川
◎舟運発達の背景
◎岩渕と甲州三河
◎難所と水難事故
◎ヨコ渡し・渡船場
◎船頭・荷役の生活
富士川舟運の終焉
富士川舟運の史跡

●これらの、各項目が、貴重な写真や図版で解説されている。私など、屏風岩など、懐かしい写真がある。
★詳細は → http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000021699.pdf
富士川舟運の歴史をたどる


富士川舟運を開いた 角倉了以

富士川舟運記念碑

富士川舟運記念碑要旨
通船から百九十年経った寛政九年十二月この顕彰碑を造る。富士川は急流で小さな丸木船でも通れなかったのを、信州・甲州の住民に荷物運搬の苦労が多い事を思い徳川家康が、京都の角倉了以に命じ、頭脳と機械を駆使して完成した。この為め下りに一日上りは三〜四日で通行できた。開通後間もなく洪水の為に水路が塞がったので、了以の息子玄之(つねのぶ)が復旧した。角倉了以は鴨川・大堰川天竜川の改修工事も行った人で、この偉業と受けた恵みに感謝し、子々孫々に伝えるように鰍沢の船着場に碑を建てた。