日本近世文学会秋季大会 平成26年

●近世文学会から、秋季大会のプログラムが届いた。今回は、日本大学文理学部で行われる。研究発表要旨を見たら、興味深いタイトルがある。仮名草子の『名女情比』の考察や、『徒然草』の受容に関するもので、異種『蒙求』という書があるという。『徒然草』を漢訳したものだという。私は、初めて知った。『徒然草』は、近世の人々に、よほど浸透していたらしい。楽しい発表である。
●また、鳳林承章サロンの考察も興味がある。専修大学図書館所蔵の『源氏物語画帖』の紹介があるらしい。実は、この金閣寺の鳳林承章の『隔蓂記』に関しては、若い頃の思い出がある。
●私はかつて、金閣寺鹿苑寺第二世の鳳林承章禅師の日記『隔蓂記』を、明けても暮れても、毎日読んだことがある。初期俳諧の付合の調査のためであった。
『隔蓂記』は、鹿苑寺第二世・鳳林承章禅師が、寛永12年から寛文8年までの、34年間に亙って書き記した日記であるが、その寛永20年4月14日の条に、
「自金光寺、可笑記四五之弐冊来也」
と見え、11日後の25日には、
可笑記弐冊返納。于金光寺之次、岩茸一包贈之、則返簡之次、大笋五本被恵之也」
とある。鳳林は、勧修寺晴豊の第6子として生まれ、その叔母・新上東門院は、後陽成天皇の御生母である。後水尾上皇の許にしばしば出入りし、文事を愛し、ことに俳諧を好んだが、堂上人としては屈指の上手であったとされている。『可笑記』の初版は寛永19年秋と思われるが、その翌年の4月に、鳳林(51歳)は七条坊門の金光寺覚持から借用しているのであり、それも5巻全冊揃いではなく「四五之弐冊」とあることは、種々の事をわれわれに想像させる。
借用したのは入手困難のためだったのだろうか。『善悪物語』同様に、その間に書写したのだろうか。購い求めて手元に置く必要を感じなかったからなのか。おそらく巻一、二、三もそれ以前に借りて読んだのではなかろうか。あるいは、堂上俳諧グループの中でも、この作品はかなり話題になっていたのではないか。さらに20年4月という日付は、寛永19年が初版であることの、多少の支えになりはしないか。等々。
いずれにしても『可笑記』の具体的な読者を二人(覚持と鳳林)、ここに見出したのである。
鹿苑寺第二世・鳳林承章禅師の日記を読んだのは、昭和42年(1967)のことである。
■平成26年、日本近世文学会秋季大会の研究発表内容 → http://www.ksskbg.com/kanabun/news2.html