共同研究のむつかしさ

●少し前の事、STAP細胞の研究に関して、科学雑誌に発表した論文の取消しなど、問題になったことがある。関係者は、次のようなコメントを出した。
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 STAP現象に関する私共の論文の不備について多方面から様々なご指摘を頂いていることを真摯に受け止め、そのことが混乱をもたらしていることについて心よりお詫び申し上げます。本件に関して、理化学研究所で行われている調査に、今後とも迅速に応じて参る所存です。また、論文内に確認した複数の不適切または不正確な点に関しては、速やかにNatureへ報告して参りましたが論文にこうした不備が見つかったことはその信頼性を損ねるものと著者として重く受け止め、今回の論文を取り下げる可能性についても所外の共著者と連絡をとり検討しております。
 今回は、経過中の調査の中間報告がなされる場であることから、書面でのコメントになりますが、適切な時期に改めて説明する機会を設け、誠意をもって対応してまいります。
2014年3月14日
小保方晴子笹井芳樹丹羽仁史
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●この3名連名の中の、笹井義樹氏は、様々な理由があって、自らの研究者生命を絶たれた。誠に痛ましいことである。この一連の問題で、私が痛感したことの1つは、研究者の出身大学などのことである。その研究者の指導者は誰か、どのような研究組織を経てきたか、などなど。一人一人が異なる研究経歴を持っている。その研究者間には、ある種のカベがあり、お互いに、ある種の遠慮のようなものがあり、もう1歩の踏み込みをしない、そんな状況があるのでないか・・・。
●私は、文学畑を歩んできたが、私たちにも、そんな状況があるように思う。私は、共同研究にもいくつも参加してきたが、参加者の実力の差はいかんともし難い。研究への情熱にも差がある。結果は、高きを目指しながらも、低きに妥協することもある。小保方氏はSTAP細胞をつくるにはコツがあります、とも言っていた。実は、文学研究の私たちにも、研究の手法やアイデアなど、相手に秘しておきたいものがある。それらをさらけ出して話すのは、ゴク限られた研究集団の範囲に留まることが多い。
●今日、ある叢書の原稿作成方法に関して話題になったので、こんな事を思った。