世を鳥瞰するジャーナリストの目

●今日の〔天声人語〕には、教えられるところがあった。
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法の番人の挫折と復権 
メダカのような小魚のところに、武装もいかめしい護衛がついた。金森徳次郎(かなもりとくじろう)は後にそう振り返っている。岡田啓介内閣の法制局長官として、1935年の「天皇機関説事件」の渦中にあったのだ。

 金森は戦後、日本国憲法の生みの親ともいわれた人物である。憲法担当国務大臣として議会での答弁を一手に引き受けた。国立国会図書館の初代館長も務めた。その活躍に先立つほぼ10年間を、事件の影響で浪人として過ごしている。

 天皇機関説とは、国家を法人と考え、天皇をその法人の機関と位置づける学説だ。学問上の論争はあったものの、当時の官界や政界にはかなり受け入れられていた。これに対し野党や軍から「不敬」「謀反」といった非難がわき起こる。

 論争が政争に変質したというべきか。金森は、学問のことは政治の舞台で論じないのがよいと答弁し、にらまれてしまう。内閣は機関説を禁じざるをえなくなる。2度にわたる「国体明徴(こくたいめいちょう)声明」だ。第1次声明が出されたのが35年8月3日である。

 法の番人が政治に翻弄(ほんろう)される。なにやら昨今の政情が思いあわされる成り行きだ。事件後、法の世界と道徳や倫理、信仰の世界の区別はなきに等しくなり、時代は神がかっていく。歴史の大きな転機だった。

 金森は戦後に出かけた講演で、新憲法天孫降臨の神話を否定するのか否かと質問された。否定も肯定もしない、両者はいわば別々の土俵で動いているのだから、と答えた。こういう明察を押し潰す時勢の怖さを思う。

(2014年08月03日 朝刊)
天声人語