軽んじられる憲法

●今日の天声人語は、政治の現状について言及している。その中に、元自民党副総裁・金丸信の言葉が引用されている。
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軽んじられる憲法 
ドスのきいたセリフである。「政界のドン」と呼ばれた金丸信・元自民党副総裁は言った。「このシャバは君たちの思うようなシャバではない。親分が右と言えば右、左と言えば左なのだ」。
 永田町はかたぎの世界ではない、ボスがどんな無理無体を言おうが黙って従え、ということだろう。当時の派閥政治の体質をよくあらわす。このところの与党の協議を見ていて、久しぶりに思い出した。
 憲法の解釈を変えるだけで集団的自衛権を行使できるようにする。安倍政権の方針は無理無体そのものだ。歴代内閣は、行使するなら9条の条文を改めよ、としてきた。それを突如ひっくり返すことがどうしたらできるのか、説明はいまもない。
 首相も当初は、条文を改めやすくするためにその要件を緩めようとしていたはずだ。「憲法を国民の手に取り戻す」と。しかし反対論が噴出し、分が悪いと見るや一転、解釈変更へ。憲法を政府の手に握り、国民から取り上げる方向への回れ右だ。  【以下略】
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山梨県立身延高校について、ウィキペディアには、次のように出ている。
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山梨県立身延高等学校 ウィキペディア より 1部省略

身延第一高等学校(男子校)1923年(大正12年)4月1日 - 山梨県立身延中学校として開校。
1925年(大正14年)11月16日 - 本校舎が完成し、現在地に移転。
1929年(昭和4年)6月29日 - 校旗が制定される。
1933年(昭和8年)2月11日 - 校歌が制定される。
1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、山梨県立身延第一高等学校に改称。
1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、山梨県立身延第二高等学校に改称。
身延高等学校(男女共学)1950年(昭和25年)4月1日 - 身延第一高校と身延第二高校が合併・統合し、現校名となる。
1951年(昭和26年)4月1日 - 定時制課程が制定される(その後廃止)。
1996年(平成8年)3月1日 - 商業科最後の生徒が卒業式を迎え、これにより商業科が廃止される。
1998年(平成10年)4月1日 - この年よりそれまでの3学期制を2学期制に改める。
2012年(平成24年)5月15日 - 翌年より総合制に移行されることが決定。これによりこの年を最後に普通科と理数科の募集が停止される。
2013年(平成25年)4月1日 - この年の入学生より総合学科を設置、また、制服のデザインも変更される。
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主な著名人
金丸信 - 元副総理
望月幸明 - 元山梨県知事・身延高校同窓会会長
佐野實 - ニプロ株式会社創業者。元身延高校同窓会関西支部支部
若林仁 - 元ロッテオリオンズ投手
近藤満 - 元中日ドラゴンズ投手
ヨネヤマ・ママコ - パントマイム演者
深沢秋男−国文学者
丸山照雄−宗教評論家
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●身延高校は、大正12年(1923)に、山梨県立身延中学として創立された伝統のある学校である。戦後、新制高校に切り替わった。元自民党副総裁の金丸信は、おそらく旧制中学の卒業であろう。旧制中学は、新制高校とは比較にならないくらい高レベルだった。私は、新制高校の定時制の卒業である。
●ウィキ は、身延高校卒業の著名人に、元自民党のドン・金丸信と、末席に私も列記している。これは、光栄なことであろうか。
■金丸 信  ネットより