漱石の手紙 発見

●今日の朝日新聞が、漱石の手紙が発見されたと報じている。
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漱石の手紙、和歌山で発見 旧制松山中の元同僚宛て
2014年6月10日05時00分

夏目漱石が猪飼健彦さんに宛てた手紙。末尾には俳句を添えている
 文豪・夏目漱石(本名・金之助=1867〜1916)の手紙が和歌山市内の旧家で見つかった。教師として愛媛県尋常中学校(旧制松山中学、現松山東高)から熊本県の第五高等学校(現熊本大)に赴任する1896(明治29)年に同僚だった教師に宛てた手紙で、直筆の未発表の俳句も添えてある。漱石の研究者で国文学研究資料館(東京)の野網(のあみ)摩利子助教(日本近代文学)は「漱石の当時の心境を知る第一級の資料」とする。
 手紙の末尾には俳句がしたためられ、俳句1句ずつを記した2枚の短冊もある。この3句のうち2句が未発表とみられる。これらは封筒とともに掛け軸に貼られた状態で、和歌山市の元会社員、猪飼弘直さん(86)の自宅で保管されていた。
 猪飼さんの祖父、健彦(たけひこ)さんは、小説「坊っちゃん」(1906年)の舞台として知られる愛媛県尋常中学校で漱石と同じ時期に教鞭(きょうべん)を執っていた。漱石の手紙は健彦さんに宛てたもの。お別れのあいさつに漱石を訪ねたが会えなかった健彦さんが手紙を送り、それに対する返礼だという。

 漱石は手紙で「昨日は御来訪被下候処(ごらいほうくだされそうろうところ) 何の風情も無之(これなく)失敬仕(つかまつり)候」と不在をわび、健彦さんが手紙に添えた短歌の短冊を「君の記念に可致(いたすべく)」として箱にしまうと記したうえで「花の朝 歌よむ人の 便り哉(かな)」という自作の俳句で結んだ。野網助教によると、手紙も含めて筆跡は全て漱石のもので、この句は発表されていない。漱石が短冊に記した俳句のうち「死にもせで 西へ行くなり 花曇(はなぐもり)」も未発表とみられる。(平畑玄洋)
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●作者、作家の書簡は、自筆であれば、その時の作家の状況を知る上で参考になる。私は、大学生の頃、堀辰雄論を読んで、その著者が、堀の書簡をそのまま鵜呑みして、論の根拠にしているのに驚いた経験がある。
●今、私は、江戸時代の「大名評判記」に関して考察している。最近、テレビや新聞などで売れっ子の、研究者というか、評論家というか、その御仁の大名評判記の利用の仕方を、別の研究者が、資料批判も加えずに利用していて問題だ、と指摘している部分に納得した。
●今回発見された漱石の手紙は、特に、どうという内容ではないので、資料批判がどうのこうの、というほどのものではない。その作者・作家の根幹に関わるような書簡の場合は、注意して利用しなければならない。
■発見された、漱石の手紙 朝日新聞 より