新井白石 九段坂下の屋敷

●江戸連の事務局長、圓山稔氏からメールが届いた。九段坂下の井関家の屋敷には、その前には新井白石が住んでいたようです。岩本馨氏の『江戸の政権交代武家屋敷』に図が載っています。というもの。同書は読んでいなかったので、早速取寄せて見た。とても興味深い内容である。甲府藩のこと、徳川綱豊と新井白石のことなどが詳細に記されている。
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新井白石
生誕 明暦3年2月10日(1657年3月24日)
死没 享保10年5月19日(1725年6月29日)
受領名 勘解由
号 白石、紫陽、天爵堂、忽斎、在中、済美
幕府 江戸幕府本丸寄合
主君 土屋利直→堀田正俊→堀田正仲→徳川家宣徳川家継
久留里藩士、古河藩士甲府藩士
新井 白石(あらい はくせき)は、江戸時代中期の旗本・政治家・学者。学問は朱子学歴史学、地理学、言語学、文学と多岐に亘る。また詩人で多くの漢詩が伝わる。
著書 『藩翰譜』・『読史余論』・『古史通』・『西洋紀聞』『采覧異言』等。
ウィキペディア】 より部分引用
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●『江戸の政権交代武家屋敷』によると、新井白石の江戸での屋敷は何度も転居している。最初は天神下、宝永4年(1707)に九段坂下に移る。355坪だったという。この屋敷に、後に井関縫殿正が住んだのである。井関家は幕末までここに住んでいたらしい。
■岩本馨氏『江戸の政権交代武家屋敷』

■九段坂下の新井白石の屋敷
『江戸の政権交代武家屋敷』より

■九段坂下の井関家の屋敷
 江戸切絵図 嘉永2年(1849)