漱石 博士号を拒否 

朝日新聞に、夏目漱石の名作『心 こころ』が連載されている。林真理子の『マイストーリー』も連載されている。私は、新聞小説は一切読まないことにしてきたが、最近は、ヒマもあることだし、たまには読んでいる。林の作品は、自費出版に関わる小説だけに、少しは興味もある。その程度である。
●今日の、『心』に附属して、漱石が文学博士の称号を拒否したことが掲載されていた。
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漱石こんな人 博士号を拒否
 持病の胃病で入院中の漱石の留守宅に、文部省から「博士号を授与するから、出頭されたい」という手紙が来た。漱石はカチンときた。受けるかどうか、まず聞くのが筋ではないか。もともと学問を国が序列化するような博士号の制度を、苦々しく思っていた。
 漱石は文部省局長に断りの手紙を書く。「小生は今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、これから先も矢張りただの夏目なにがしで暮したい希望を持っております」
 文部省は、発令したのだから今更、辞退できない、と学位を送ってきた。漱石は「小生の意思に逆って、お受けをする義務を有せざる事を茲(ここ)に言明致します」と強く拒否、結局双方の主張の言い合いで終わった。
 博士号を断った漱石に、「痛快だ」という称賛とともに「大人げない」という声もあり、「金ちゃんはすねものだから」という親戚もいたという。しかし漱石は、かたくなすぎる、という批判を承知の上で、自らの信条を生きたのだ。(牧村健一郎
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●博士号の歴史をみれば、大変な権威もあり、世間から尊敬されてもきた。その分野でひと道抜けた業績を残した人に与えられた称号であるから、尊敬されて当然である。私も心から尊敬してきた。特に文学博士は数も少なく、大変な存在だった。
●日本は、授与基準が厳しくて、外国に比べて、授与者が少なく、チグハグな現象が生じた。そこで、授与基準を引き下げて、数を多くした。それが、現在の 博士(文学) である。そのように私は理解している。この切り替えの時に、私は学科長だったので、資格審査の時に注意したものである。
夏目漱石 博士号を拒否