防災格言

●「週刊 防災格言」の〈309〉・2013年11月11日に、『可笑記』巻1の48段が引用されていた。誤りなどもあるが、原文のまま紹介する。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。
 『 人はただ万(よろず)少しの事に心をよせ気をも付(つけ)て、慎(つつし)み分別すべし。
  既(すで)に大事(だいじ)と成ては後悔(こうかい)益(えき)あるまじ。 』

如儡子(1603頃〜1674 / 仮名草子作家・武士 代表作『可笑記』)

格言は『可笑記寛永19(1642)年)』巻一の最終項より。

如儡子(にょらいし じょらいし / 本名:斎藤親盛)は、江戸時代に活躍した出羽国山形県)酒田筑後町出身の仮名草子作者。徒然草に倣った随筆集『可笑記(かしょうき)』や『百八町記(ひゃくはちちょうき)』の著者として知られる。
山形藩主・最上家親(もがみ いえちか / 1582〜1617 最上家第12代当主)の家臣として川北奉行を務めた斎藤筑後守盛広の嫡男に生まれ、18歳頃まで主君家親の側近くに仕えたが、元和8(1622)年のお家騒動により最上家が改易されると、以降は浪人となり貧しい生活を送る。江戸に出て医者をしながら仮名草子可笑記(かしようき)』を著し、浅井了意(あさいりようい / 1612〜1691 浄土真宗僧侶・仮名草子作家)に認められた。万治3(1660)年に長男・秋盛(ときもり)が陸奥国福島県二本松藩・丹羽光重に仕官したのに伴い二本松へ移住、晩年はこの地で俳諧に興じ、72歳で死去。

                                                                                              • -

全文

むかし去人の云るは、人はただ萬少しの事に心をよせ気をも付て、慎み分別すべし、既に大事と成ては、後悔ゑきあるまじ、されば泯江のはじめには、濫觴(さかづきをうかべ)、楚に入りてはすなはち底なしとて、唐楚国のかたはらに、泯江と云て、いかにも広大に底ふかく、海のごとくなる江あり、此水上を尋れば、いかにもちいさき盃をうかべる程ほそけれども、漸々と水ながれ重り、楚国にてはるかに広く、ちひろふかき泯江とはなれるとかや、又ふるき名歌にも、

筑波根のみねより落るみなの河 戀ぞ積て淵と成けり

この心は、ひだちの国にみなの川とて広くふかき川あり、此川の水上は、筑波山のみねより落る苔の岩まの雫也けり、真そのごとく、戀といふ物は、かいま見そめし人の俤(おもかげ)は、いかにもほのかにかすかなるしるべなれども、其面影をわすれかねて、つやつやこひ忍る事、漸々とかさなつて、つもりて後には身をくだき、命を捨るほど大きなる戀のわづらひとなれるよしなり、萬につきて心得あるべし。

                                                                                          • -

■「如儡子」に関連する防災格言内の記事
 上杉鷹山(2010.04.12 防災格言)
 莅戸善政(1)(2008.03.17 防災格言)
 莅戸善政(2)(2011.12.05 防災格言)
 吉田兼好(2)(2012.06.04 防災格言)
 吉田兼好(1)(2010.01.04 防災格言)
 鴨長明(2008.03.31 防災格言)
 江島其磧(2009.06.22 防災格言)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
■「週刊 防災格言」〈309〉