戦場の詩人 尼崎安四

●詩誌『黒豹』134号を頂いた。千葉市館山の諫川正臣氏編集、平成25年11月30日発行。毎号、詩師・尼崎安四の詩と竹内勝太郎の試論を掲載、心が洗われるような雑誌である。今回の第134号には、尼崎安四の『火砲』が巻頭に載る。
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火 砲            尼崎安四


凝と叢に身を潜めてゐる豹のやうに
殺伐な顎を石に載せ
砲は地平の風に耳聳てる
紺青の厚い囲みが憤りを誘ふのか


遠い地平線には何ものも見えない
空無の力が脅かす烈しい圧力
其圧力に鋼鉄の重みをもつて砲は堪へ
巨大なる破壊力を自ら律恃む倨傲の身構へ


蒼空は遠く地の涯に無限枚数の蒼空を重ねる  
遠ざかりつつ己れに沈んでゆくものの深いしじま
砲は一枚の鏡を砕くより脆く此空無の空砕きうることを信じ
吐く火とめまひする叫びの中にその意志を賭く
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●編集後記て、尼崎安四と戦場で共に戦った、俳人の山田句塔氏の文を引用している。
「昭和十六年七月某日、野戦高射砲第四十四大隊は字品港において、火砲、弾薬、燃料、軍用トラック、隊貨の輸送船への搭載を終り、最後に兵隊たちは個人装具を身につけて本船へ向う舟艇に乗り込んだ。生還期しがたい戦地へ向けていま祖国をはなれようとし、私たち兵隊は感慨深く緑あざやかな山々を眺めていた。私はふと傍らで立ったまま一冊の岩波文庫に読み耽っている一人の兵隊に気がついた。これから戦地へ向うという時、この兵隊はまるで眼前の対岸に渡るかのように何の感傷もないようであった。
 私たちの部隊は大連に上陸し、その数日後に牡丹江市に着任した。当時、安四は現役の初年兵で分隊の砲手であった。私は支那事変従軍の経験ある召集の一等兵で対空監視班に所属していた。間もなく私は現役の三年兵で通信班の兵長平井直人と親しくなった。直人は文学、芸術に関心をもっていて安四と親しくしていたことから、私も安四と親しくなり、三人は軍務の余暇によく話すようになった。安四はマラルメヴァレリー、竹内勝太郎を語り、詩における象徴主義を説き、散文は歩行、詩は舞踊にたとえて私たちを啓蒙した。直人と私は文学、芸術に造詣の深い彼の話を聞くのが楽しみであった。
 安四は優秀な砲手であったが、ときどき反軍的な言葉をもらすので中隊幹部からは要注意の兵とされていたようであった。ある時日本は最終的には負けると放言したので、班兵や古兵の憤激を招いたことがあった。彼には先見の明かあったわけだが、軍隊内では口外すべきことではなかった。・・・」
●今日、12月7日である。昭和16年(1941)12月8日、日本は、米英に戦線布告した。この戦争には、詩人も俳人も学徒も皆、戦争に駆り出された。
■『黒豹』134号

■昭和16年(1941)12月8日 の朝日新聞号外