懐かしい 写植

●今日の朝日新聞に写真植字のことが出ていた。
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絶滅寸前「写植」体験できます 東京・表参道で7日まで。
 写植は、写真の原理を活用しフィルムから文字を印画紙に焼きつけ、印刷原稿を作る技術。1924年に日本で開発が始まり、来年で90年を迎える。70年代〜90年代前半は印刷物のほとんどが写植で作られ、全盛期を迎えた。
 会場には卓上写植機や文字盤などが並び、実際に文字を打ち、印画紙を暗室で現像する体験ができる。
 主催した伊藤義博さん(61)は「今では都内でも写植業者は数社しか残っていない。でも写植の美しい文字を求め、デザイナーや作家から注文が来る。一時代を築いた産業を若い人にも体感してもらいたい」と話す。 【朝日新聞 より】
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写真植字(しゃしんしょくじ、略称は写植は、写真植字機を用いて文字などを印画紙やフィルムに印字して、写真製版用の版下などを作ること。また長らくテレビ放送用のテロップ用の版下としても使われた。
活版印刷においては多くのサイズの活字が必要であったが、写真植字では1個の文字ネガで足りる。オフセット印刷の普及とともに、写真植字も急速に需要を拡大した。写真植字のメリットとして、文字のネガをレンズで拡大または変形して印画紙に焼き付けるので、独特の柔らか味があり、DTPが普及した昨今でも、タイトル文字などに限って写真植字を指定して使うケースが見られる。なお写真植字の歴史は写研の歴史そのものと言ってよい。  【ウィキペディア より】
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●私は、大学を卒業して、すぐ就職した出版社の編集部で「写真植字」を教えてもらった。私は、中学生の頃からカメラを持って写真をやっていたので、写真植字に特別興味があった。編集部の新人の仕事は、作家・画家の所に原稿を貰いに行くことと、印刷所・製本所へのお使い、それに神保町の写植屋さんへ行くことが多かった。写植屋さんのオペーレーターは、写植機の前で、いろいろ機械をセットして、黒い文字盤を操り、原稿を印字した。印字が終ると現像する。私はその印画紙の文章を校正して、ミスを修正してもらって社に戻った。それを書籍のカバーや表紙やオビの版下にして、製版所へ廻す。楽しい作業だった。
●その後、神田の出版社の辞典部に移り、ここで、写植の最先端、写研とお付き合いすることになった。諸橋先生の『大漢和辞典』は、写植無しには完成しなかったろう。活版の活字は、文字の大きさで字形が異なることが実に多く、辞典製作には問題点があった。その点、写植は同じ文字盤ゆえ、字形に変化はない。ここが、大きな魅力となる。
●その後、写植の世界にもコンピュータが導入され、文字をドットに置き換えて保存するようになり、写真の文字盤は姿を消した。サプトン、サプトロンという出力機が開発され、次々と発展してきたが、その後のことは、もう、私にはわからない。
■文字盤をかかげる伊藤義博氏